□「折伏大進撃」の時代の創価学会員の激しい入信勧誘をガンとして断り続けていた私の父親

 

英昭彦は18才のとき、大学進学で北陸から関東に移住。それ以来、東京都、埼玉県、神奈川県で創価学会員、顕正会員、法華講員などの「日蓮正宗系」カルト信者たちから宗教被害を受け続けてきた。では18才まで住んでいた北陸では、どうだったのか。英昭彦の父親は、1966(昭和41)年に、今の実家がある場所に工場を建てて自営業を営み、2004(平成16)年まで38年つづけた。その取引相手に数人の創価学会員がいた。父親は、創価学会員からたび重なる入信勧誘・折伏を受けていたのだったが、父親はガンとして創価学会に入らなかった。あるいは実家があるT町に、昔から創価学会のカルト信仰をつづけている超カルト信者・中島(仮名)がいて、この男もかなり執拗に父親を創価学会に勧誘していたのだったが、父親はガンとして創価学会には入信しなかった。中島(仮名)は、一度、T町議会議員選挙に出馬したくらいの、地域の創価学会の有力信者である。結果は落選だったが、この町には今も公明党・町議会議員が一人いる。こういったことは、私の父母の話である。

英昭彦の場合、小学校、中学校は、この町の町立小学校、中学校に通学していたが、創価学会員の同級生は一人もいなかった。もちろん、創価学会員であることを隠す「隠れ創価学会員」はいたのかもしれないが、創価学会の「そ」の字、「が」の字も全く聞かなかったし、一度も創価学会の勧誘・折伏も受けたことはなかった。中学校を卒業後、私は金沢市内にある私立S高校に入学。あの当時、この高校には、のちに中日に入団する小松辰雄(現・、CBCテレビ・CBCラジオ野球解説者)が野球部に在学。私が高校3年生の時、ここの野球部は、「夏の甲子園」で簑島高校と延長18回の試合をやって敗退した、あの高校である。元巨人・元ヤンキースの松井秀喜や元プロレスラー・元国語科(古典)教諭・ロサンゼルスオリンピック (1984)レスリング日本代表だった自民党国会議員H氏もこの高校出身である。この高校に入学した1年生のとき、同じクラスに中田(仮名)と大下(仮名)の二人の創価学会員がいた。40人学級に二人の創価学会員だから、割合としては5%。あの当時、その高校は1学年に13クラスもあるマンモス校で、同じ学年でも1回も話しをしたことがない生徒がたくさんいた。1学年で530人以上の生徒がいたので、13クラス全体でみれば、もっと他にも創価学会員がいたのではないかと思われる。ではなぜ同じクラスの中田(仮名)と大下(仮名)が創価学会員だとわかったのか、というと、他の同級生が「あの二人は創価学会員だから気をつけたほうがいい」と忠告してくれたからである。英昭彦が高校1年のときの創価学会に関する知識は、創価学会員による父親の入信勧誘に関すること、1970(昭和45)年の言論問題のこと等に関して断片的な知識があるくらいで、なぜ創価学会員を警戒しなくてはならないのか、なぜ創価学会員を注意しなければならないのか、ほとんどわかっていなかった。英昭彦は高校生のころまで、創価学会をはじめとするカルト宗教に関する問題意識がほとんどなく、大学進学で東京に出て、「狂気の福寿荘(仮名)」をはじめとする創価学会等「日蓮正宗系」カルト被害に晒されたのが、「日蓮正宗系」カルトに関する問題意識が芽生えた最初。高校生のころは、金沢市内に住んでいたクラスメイトのほうが、問題意識が高かったと言えよう。


星稜9(OK)

(英昭彦が通学していた高校・当時の写真)


 

 

 

□全く予想外だった大学進学ではじまった創価学会等の「日蓮正宗系」カルト宗教との長い闘い

 

私が通っていた高校は、当時から成績別に分類される「能力別学級」になっていて、クラスメイトはガリ勉少年、ガリ勉少女が大半。創価学会員の中田(仮名)は、かなり勉強ができたほう。「mixi」プロフィールを見ると、妻子がようである。おそらく創価学会の中で布教実績をあげ、創価学会女子部信徒と結婚してパパになったという、典型的な創価学会員二世・三世の出世パターンではないかと思われる。もうひとりの創価学会員・大下(仮名)は、あの当時はパンチパーマをかけ、ダブダブの「ダボパン」とよばれるズボンをはいたツッパリ高校生。同じツッパリ高校生の溜まり場と化していた応援団に入り、野球部が甲子園に出場したときも、応援で甲子園に行っていた。大下(仮名)は、校内でも不良系男子生徒との付き合いが多く、時には校内で殴り合いのケンカをやって、校舎の窓ガラスを割ったこともあった。私は、ガリ勉タイプの中田(仮名)よりも、ツッパリ高校生の大下(仮名)のほうが、なんとなく人間味があるように感じて、中田(仮名)とはほとんど話しをしなかったが、大下(仮名)とは少しぐらいは話しをする仲だった。ところがある時、将来の大学進学の話しをしたとき、分厚い全国大学一覧の本をめくり、創価大学を指して「この大学はいい大学なんだ」という大下(仮名)。「何だ?創価大学って?」と思った私は、あとで自分で創価大学の詳細を調べ、これが宗教団体・創価学会の外郭団体のひとつだということがわかった。「なーんだ、オレを創価学会に勧誘しようとしていたのかな?やっぱりあいつは創価学会員だったんだな」と思い、それをきっかけに私は、大下(仮名)を遠ざけるようになっていった。これが私にとっては、創価学会等「日蓮正宗系」カルト宗教との闘いの最初のきっかけになった。

私が通っていた私立S高校は、大学進学の他、野球、サッカー、レスリング等スポーツの分野で実績があると言われているが、私にとっての高校生活は全く面白くなかった。まわりがガリ勉少年、ガリ勉少女のカタブツ高校生が多く、どちらかというと、いいかげんな性格な私とは、ウマが合わないことが多かった。だからこんな面白くない北陸にいるよりは、東京に出て関東の大学に進学したいという気持ちが強くなり、高校3年生のころには、気持ちがほとんど関東に行っていた。

1980(昭和55)1月、大学受験で父親と二人で上京。冬は毎日のように雪が降る北陸から関東に出ると、冬晴れで雪は全くなく、ポカポカと暖かい。「関東って、冬でもこんなに気候がいい所だったのか」と思った英昭彦は、高校を卒業したのちは、関東に住むことを決めてしまっていた。大学進学が決まり、関東に出た私が最初に住んだところが、S県K市のT線沿線の学生専門のアパート。ここから希望を持って大学生活のスタートを切ったのだったが、大学に入学して間もなくのころから、創価学会男子学生部信徒をはじめとする創価学会員たちによる、激しい入信勧誘・折伏の雨・嵐が襲いかかってきた。中でも特にひどかったのが、創価学会男子学生部信徒の「だまし討ち折伏」。そして彼らの拠点になっていた「狂気の福寿荘(仮名)」。ここから今日に至るまで、創価学会をはじめとする「日蓮正宗系」カルト宗教との長い闘いがはじまるとは、全く予想していなかったことであった。

 

国際商科大学1


 東京国際大学3

(英昭彦が通学していた大学)