□北陸地方にも荒れ狂った195070年代のころの創価学会「折伏大進撃」の暴風雨

 

「アンチ日蓮正宗」「Icat-Cult」管理人・英昭彦は、月1回ないし2回のペースで、北陸に帰省しており、北陸に行った時は、金沢市内の有料老人ホームに入居している父親を訪ねている。私の父親は、1934(昭和9)年生まれで、今年満80才。父親は満70才まで現役で仕事をしていたが、現役引退した後は、英昭彦の実家で隠居生活をしていた。が、200912月に母が死去。201210月に「要支援1」で、介護保険・包括支援センターの世話を受けるようになった。そして2013年に、二度にわたって金沢市内の病院に入院。ここで「要介護3」の認定を受け、有料老人ホームに入居した。普段の生活の面倒は、有料老人ホームのヘルパーさんや係の方が見てくれている。

父は、学校を卒業後、1966(昭和41)年までサラリーマンをやっていて、その後、独立。2004(平成16)年に引退するまで、自営業を営んでいた。私の実家がある地域は、圧倒的に浄土真宗の門徒が多い地域。日蓮正宗では、江戸時代に加賀藩領内で、大石寺信徒が藩主から弾圧された「金沢法難」があったと言っているが、私の実家がある地域で、江戸時代から大石寺の信仰の灯を相続している法華講員など、全くお目にかかったことがない。英昭彦が学生だったころ、日蓮正宗・金沢・妙喜寺などの寺跡調査を行ったことがあったが、北陸地方の「日蓮正宗系」信者は、大半が創価学会員。最近はポストに顕正新聞を投函していく顕正会員がいるくらい。

195070年代のころの創価学会「折伏大進撃」の暴風雨は、北陸地方にも荒れ狂っており、その当時に多くの創価学会員が生まれ、今も石川・富山・福井の県議会や市町村議会には公明党議員がいる。しかし北陸地方には、室町時代、戦国、安土桃山、江戸時代からつづく浄土真宗の固い岩盤があるためか、東京、大阪、名古屋、京都、福岡等の大都市圏ほど、創価学会員の割合は高くないように思われる。しかしそうは言っても、あの創価学会「折伏大進撃」の時代以来、私の父親のまわりには創価学会員がおり、父親も若い頃から創価学会員による折伏・布教活動、F取り活動等の迷惑行為・被害にあってきた。英昭彦も実家で暮らしていた子どもの頃から、父から創価学会員による折伏被害、F取り被害の話しを何度も聞いて育った。父が独立して後、父の取引先にN洋行という会社があり、ここの社長が熱心な創価学会員。この人が業務上のことで父が経営する工場に来たときに、創価学会に入るよう、執拗に勧誘・折伏したという。父が経営する工場は、住居と隣接していたので、私も子どもの頃、創価学会員・N洋行社長を見たことがあった。しかし何度勧誘されても、何度折伏されても、父はガンとして創価学会に入ることはなかった。

もう一人、私の父親を熱心に折伏していたのが、私の実家がある某町で建具店を経営する中島(仮名)。この人物が地域でも有数の熱心な創価学会員で、創価学会の中枢幹部。私の実家にやって来ては、やれ折伏はするわ、選挙になれば公明党候補者支援を強要しにやって来るわ、中島(仮名)自身が自ら某町議会議員選挙に、公明党公認候補として立候補したこともあったくらい。結果は落選だったが、しかし某町議会には現在、1人の公明党議員がいる。この中島(仮名)がとんでもない男で、数々の強引極まりない布教・迷惑行為を行ってきている。


家3


(英昭彦の実家・2013年当時の写真・今は取り壊していて、存在していない)

 

 

□創価学会員からどれだけ折伏されようがガンとして創価学会に入らなかった私の父親

 

まだ母が存命中だったころ、母を騙して、英昭彦の東京の住所を聞き出し、2009年・東京都議会議員選挙の公明党候補者応援のため。つまり東京都議会議員選挙に立候補している公明党候補者に一票入れてくれと言いに、わざわざ北陸地方から東京に来たということがあった。この時は私が不在中で、ポストにあった中島(仮名)の名刺に書いてあった連絡先に電話。怒鳴りつけんばかりに抗議した。母の死去後、父親は次第に足腰が弱くなり、今度は一人暮らしの足腰の弱い老人の弱みにつけこんで、中島(仮名)が、衆議院選挙や参議院選挙投票日に、私の実家にやってきて、父を中島(仮名)のステーションワゴンに乗せ、投票所へ「連れ出し」をしていたことが発覚。私は父に「中島(仮名)がやっているのは、創価学会の『連れ出し活動』と呼ばれているものだから、創価学会員の車に安易に乗って行かないよう」に言うと、父も「わかった」と承諾。数ヶ月前にたまたま私が実家にいたときに、中島(仮名)がいたので、この時も怒鳴りつけんばかりに抗議。すると中島(仮名)はそそくさと退散していった。すると今度は、父親が入院したとき、同じ病室に創価学会員の入院患者がいて、この男が盛んに父親のベッドの所に、聖教新聞やら公明新聞を持ってきていた。父の話では、「ちょっと病室で、一言、二言、話したら、とつぜん聖教新聞を毎日、ベッドに持ってくるようになった」とのこと。しかしこれは、父親が退院したことによって自然消滅した。それにしても病室で一言、二言、話したら、毎日、聖教新聞を持ってくるようになったとは、それこそ195070年代のころの創価学会「折伏大進撃」を彷彿とさせるくらいの、過激折伏・布教活動である。父も、「まさか同じ病室に創価学会員がいるとは思わなかった」とぼやいていたが、有料老人ホームに入ってからは、創価学会の被害からは解放されたようである。

父は、創価学会員からどれだけ折伏されようが、ガンとして創価学会に入らなかったし、創価学会員からどれだけ公明党支援を強要されようが、ガンとして公明党に投票しなかった。父は、自営業を営んでいた時、「ワシは若い頃から自民党しか投票したことがない。ただし石油危機の時だけは、物価高に抗議する意味で社会党に投票した」と言っていた。では、父親はなぜ、数十年もの長い間、創価学会員から折伏攻撃を受けながら、創価学会に入らなかったのか、ということになるが、やはり英昭彦の実家には、先祖伝来の浄土真宗大谷派の大きな仏壇があり、某町共同墓地には、浄土真宗式の我が家の墓所がある。祖母や母親が存命中のころは、浄土真宗大谷派寺院住職ないしは僧侶が毎月1回はお経をあげに来ていた。昔から浄土真宗の慣習・文化が深く根づいて定着していたからだろうと思われる。いわば先祖伝来の徳ということになろうか。

それとやはり、父も母も口にしていたが、1970(昭和45)年の創価学会による「言論出版妨害事件」いわゆる言論問題。「創価学会という所は、言論を弾圧する所だからダメだ」と、口々に言っていた。そしてバブル時代の1980年代から90年代に噴出した公明党議員の汚職事件、金庫遺棄事件、日蓮正宗僧侶誘拐事件、ルノワール絵画疑惑、国税庁税務調査等の不祥事。信仰心が全くない父親にとって、創価学会・公明党の不祥事の数々は、創価学会・公明党の正体を知る上で、実にわかりやすい事件だったのではないかと思う。

 

津幡墓4


津幡墓3
 

(北陸にある先祖伝来の墓地)

 

父4

(Icat-Cult管理人の父)