1974年の妙信講解散処分から3年後に和解した日蓮正宗と妙信講・浅井甚兵衛・昭衛父子

 

現在、日蓮正宗と日蓮正宗から派生した創価学会、顕正会、正信会が、さも泥仕合的な抗争をしていると思っている人たちが多いようだが、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の関係がどうなっているのか、について正確に把握しておく必要がある。

その中で日蓮正宗と顕正会(妙信講)の関係について言うと、1977(昭和52)420日、日蓮正宗と顕正会(妙信講)は教義問題以外は「和解」している事実を把握する必要がある。

 

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(1977(昭和52)516日付け「大白法」に載っている日蓮正宗と妙信講の和解書)

日蓮正宗と顕正会(妙信講)の関係であるが、両者は、1970(昭和45)年以来、正本堂の意義付け問題、国立戒壇の名称について、「本門事の戒壇」の定義について、日蓮正宗、創価学会、妙信講(顕正会)が、三つどもえの抗争を繰り返してきた。

1970(昭和45)53日、東京・両国の日大講堂での創価学会本部総会の席上で、大石寺66世細井日達法主(日蓮正宗管長)が、「今後、国立戒壇の名称を使用しない」と宣言。

 

3-1創価学会本部総会1


3-2創価学会本部総会2
 

(「日達上人全集」第2輯第5巻に載っている1970(昭和45)53日、東京・両国の日大講堂での創価学会本部総会の「今後、国立戒壇の名称を使用しない」宣言)

 

3大石寺66世日達特別講演1国立戒壇名称不使用宣言
 

(1970(昭和45)54日付け聖教新聞に載っている1970(昭和45)53日、東京・両国の日大講堂での創価学会本部総会の「今後、国立戒壇の名称を使用しない」宣言)

1972(昭和47)428日、大石寺66世細井日達法主(日蓮正宗管長)が日蓮正宗の全僧俗(日蓮正宗僧侶・寺族・法華講員・創価学会員・妙信講員)に「訓諭」を発令。その中で正本堂の意義付けについて

「正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁は本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」

と宣言した。

 

28-1正本堂・事の戒壇・本門寺戒壇・訓諭
 

(「日達上人全集」第2輯第1巻に載っている1972(昭和47)428日、大石寺66世細井日達法主(日蓮正宗管長)が日蓮正宗の全僧俗に発令した正本堂の意義付けについての「訓諭」)

 

28訓諭・正本堂の意義付け
 

(1972(昭和47)429日付け聖教新聞に載っている1972(昭和47)428日、大石寺66世細井日達法主(日蓮正宗管長)が日蓮正宗の全僧俗に発令した正本堂の意義付けについての「訓諭」)

浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛理事長(当時)父子が率いる妙信講は、この二つの日蓮正宗の公式決定に異議を唱え続け、信伏随従することを拒否。デモ行進や暴力事件を起こし、1974(昭和49)812日、日蓮正宗は、妙信講を「講中解散」処分にする。さらにつづけて妙信講の浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛理事長(当時)ら最高幹部を「信徒除名」処分にする。さらに妙信講・浅井父子を支持しつづけてきた妙信講の所属寺院・妙縁寺住職・松本日仁氏、隠居僧になっていた八木直道氏を「擯斥処分」とした。

 

12妙信講解散1
 

(1974(昭和49)812日の妙信講解散処分を報じる(1974(昭和49)915日付け「大白法」)

これにより日蓮正宗管長(大石寺66世細井日達法主)、日蓮正宗宗務院、妙縁寺後任住職(久保川法章氏)と妙信講、浅井甚兵衛・浅井昭衛、松本日仁、八木直道の紛争は、裁判の訴訟合戦に発展。さらに世間巷では、創価学会員と妙信講員の紛争、妙信講員と日蓮正宗寺院のトラブル、さらに大石寺法主の本尊を下付されなくなった妙信講員が、創価学会員宅から曼荼羅本尊を強奪するといった事件まで発生。完全に泥試合と化していった。

1975(昭和50)75、法華講連合会青年部「目通り」の席で、大石寺66世細井日達法主は、延々とつづけた妙信講批判説法の中で

「元妙信講が日蓮正宗と名乗ることだけは、今日限りやめてもらいたいのです。法律がどうのこうのという問題とは別の次元で、管長として、法主として、もはや日蓮正宗信徒でない者が、日蓮正宗という名称を使うことを止めよと命ずるのであります」

 

5元妙信講について3日蓮正宗を名乗るのを止めよ
 

(「日達上人全集」第2輯第6巻に載っている1975(昭和50)75日、法華講連合会青年部「目通り」の席での妙信講批判説法)

と言っている。

 

 

 

1977(昭和52)420日、日蓮正宗と妙信講の和解は教義以外の全ての和解を意味する

 

この日蓮正宗vs妙信講、浅井父子の泥沼の紛争が、急転直下、1977(昭和52)420日、「和解」する。これが冒頭に掲げた和解書並びに和解に関する日蓮正宗宗務院通達である。この「和解」により、日蓮正宗、妙縁寺、寺族同心会、妙信講、浅井甚兵衛・浅井昭衛、松本日仁、八木直道ら当事者全員が、裁判所に起こした全ての訴訟を取り下げ、金銭支払い請求を放棄した。

この「和解」について、日蓮正宗宗務院は「通達」の中で、奇妙な言い訳をしている。

「裁判上の和解といっても、決して仲直りするとか許すとかの妥協的な意味を持つものではなく、要はかかる事件は、その本質が宗教教義の解釈に関することがらであって、本来、裁判所が立ち入るにふさわしくないこと、従って双方の主張の当否は、今後の双方の宗教活動を通して、おのずから明らかにされるべき性質のことがらであることを前提として、法廷の場における争いを止め、訴を取り下げるということが骨子となっている」

 

裁判上の和解
 

などと言っている。確かに「和解書」を読むと、和解条項の中に

「一、紛争の核心が宗教上の教義解釈の相違にもとづくものであって、裁判所の判断により最終的に解決されるべき問題ではなく、むしろ今後それぞれの宗教活動の成果によって当否を決せらるべき事柄であることを相互に確認する」

「五、当事者全員は、本件和解が、それぞれの宗教上の立場および活動の正統性についての承認、もしくは制約を意味するものでないことを、それぞれ確認する」

 

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とある。一の文は、日蓮正宗と妙信講(顕正会)の紛争の核心は、教義解釈の相違であるから、これについては今後も両者は、教義論争を続行していく、という意味である。

五の文の、日蓮正宗と妙信講(顕正会)の「それぞれの宗教上の立場および活動の正統性についての承認、制約を意味しない」ということについて、日蓮正宗宗務院は、こんな言い訳をしている。

「今後、元妙信講らが『日蓮正宗』を僭称して妄動し、或いは寺院を建てるようなことが仮にあったとしても、それは本宗(日蓮正宗)とは、もはや何ら関係もないことであります」

 

日蓮正宗僭称無関係
 

1975(昭和50)75日に大石寺66世細井日達法主が「管長として、法主として、もはや日蓮正宗信徒でない者が、日蓮正宗という名称を使うことを止めよと命ずるのであります」と説法していたのに、この「和解」によって、これが一転して「今後、元妙信講らが『日蓮正宗』を僭称して妄動し、或いは寺院を建てるようなことが仮にあったとしても、それは本宗(日蓮正宗)とは、もはや何ら関係もない」と変わっている。つまり、これは妙信講(顕正会)が、日蓮正宗に無断で「日蓮正宗」「富士大石寺」を名乗っても、「それは本宗(日蓮正宗)とは、もはや何ら関係もない」、つまり妙信講(顕正会)が、日蓮正宗に無断で「日蓮正宗」「富士大石寺」を名乗ることを黙認したということに他ならない。つまり妙信講(顕正会)会員は、大石寺の「戒壇の大本尊」や大法要に参拝はできないが、日蓮正宗に無断で「日蓮正宗」「富士大石寺」を名乗ることができる、「日蓮正宗」の儀式・法要も独自に執行できる、ということで、これは妙信講・浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛父子「破門」の意味がほとんど失われてしまっている。さらに和解条項の三の2に中に

「今後再び、同種もしくは反訴の性質を有する訴訟の提起その他何らの法律上の手続きをとらないことを相互に確認する」

とあり、今後、日蓮正宗と妙信講(顕正会)は、裁判を提起しないことを確認している。これは、当然のことながら、裁判沙汰になりうる紛争を起こさない、ということである。

こういった内容からして、1977(昭和52)420日の日蓮正宗と妙信講の和解は、教義論争はつづけていくが、それ以外の紛争は今後一切起こさないことを確認した和解であり、つまりこれは、日蓮正宗と顕正会(妙信講)は教義問題以外は「和解」したということである。

 

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(1977(昭和52)516日付け「大白法」に載っている日蓮正宗と妙信講の和解書)