□宗教法人・日蓮宗は日蓮正宗批判、創価学会批判・顕正会批判が主たる活動の団体ではない

 

創価学会を脱会→日蓮正宗→日蓮正宗を離檀というコースを歩んだ人、あるいは創価学会を脱会した人の中で、かなりの人が日蓮宗寺院の門を叩いている。創価学会や顕正会を脱会あるいは日蓮正宗を離檀した人で、かなりの人が日興を開祖とする富士門流寺院の門を叩いている。富士門流の寺院でも、現在は日蓮宗に入っている大本山、本山、寺院がかなりたくさんある。また日本脱カルト協会の幹部の一人に日蓮宗住職がいらっしゃる。こういったことが関係しているのかどうかは知らないが、日蓮正宗や創価学会から日蓮宗寺院の門を叩いた人の中から

「日蓮宗はなぜ創価学会批判をしないのか」「日蓮宗はなぜ大石寺批判をしないのか」「日蓮宗はなぜ顕正会批判をしないのか」「日蓮宗には幻滅した」と言って、日蓮宗を離れていく人が散見される。「アンチ日蓮正宗」を設立した草創のころ、「そういう大石寺批判は、日蓮宗にやってもらえばいいじゃないですか」という意見を寄せてきた者がいた。

「アンチ日蓮正宗」管理人は、日蓮宗寺院を訪ねることはあるが、日蓮宗の信徒でも何でもない。立場的には無宗教である。日蓮宗寺院を訪ねるとか巡礼とか言っても、何も日蓮宗寺院だけを訪ね歩いて巡礼しているわけではなく、仏教宗派のありとあらゆる寺院や霊跡、旧跡、ないしは神社等々を訪ね歩いている。だから特に日蓮宗だけに肩入れしているわけではない。

そういう私から見ても、「日蓮宗はなぜ創価学会批判をしないのか」「日蓮宗はなぜ大石寺批判をしないのか」「日蓮宗はなぜ顕正会批判をしないのか」「日蓮宗には幻滅した」、「そういう大石寺批判は、日蓮宗にやってもらえばいいじゃないですか」等々という意見は、何とも不可解極まりない意見に聞こえる。つまりこういう「不可解な意見」を言う人たちは、日蓮宗は大石寺批判をして当たり前、日蓮宗は創価学会批判をして当たり前。日蓮宗は大石寺批判、創価学会批判をする義務や責任を負っているものだと、勘違いしている人がたくさんいるということ。どうして、こんな勘違いをするのだろうか。私に言わせれば、全く不可解極まりない話しだ。

日蓮正宗、創価学会、顕正会等は、教義上のことで日蓮宗を批判しているので、当然のように、日蓮宗は大石寺や創価学会、顕正会を批判して当たり前だと思っているのだろうか。私は、大石寺批判、創価学会批判、顕正会批判をしている日蓮宗僧侶の方、日蓮宗檀信徒の方を知っている。もちろんその方々は、個人のお考えから、大石寺批判、創価学会批判、顕正会批判の活動をなさっておられるものと認識している。つまり個人的に批判活動をなさっておられるということであるが、しかしこれと、日蓮宗として、宗教法人・日蓮宗として、大石寺批判、創価学会批判、顕正会批判の活動を行うかどうか、というのは、話が別である。私が、「日蓮宗はなぜ大石寺批判、創価学会批判をしないのか」「大石寺批判は、日蓮宗にやってもらえばいい」と言っている人たちが勘違いをしていると言うのは、日蓮宗という宗派、宗教法人・日蓮宗は、大石寺批判、創価学会批判、顕正会批判の活動を主とした宗教ではない、ということである。

 

日蓮宗宗務院1


日蓮宗宗務院2
 

(日蓮宗宗務院)

 

 

 

□日蓮宗だけに大石寺批判、創価学会批判を要求して他の宗派に要求しない「不可解な人たち」

 

日蓮宗の宗制にも宗規にも、日蓮宗新聞にも、その他の日蓮宗が公式に出している文献等にも、「日蓮宗の活動は、大石寺批判、創価学会批判が本旨である」との記載はどこにもないはず。そんな記載がありますか。私は全く聞いたことがない。

これは日蓮宗に限らず、どこの仏教宗派の宗制宗規も、建前上であっても、宗教法人法に則ったことしか記載されていない。こう言うと、「たとえ宗制宗規になくても、大石寺批判、創価学会批判活動をしてもいいじゃないか」と言うのだろうが、宗教法人法の主旨は、宗教団体は儀式を行い、信徒を教化育成し云々とはあるが、宗教団体は他宗批判を旨とせよ、とはなっていない。

日蓮正宗、創価学会、顕正会は、平気で他宗派のことを、やれ邪宗だの邪教だのと誹謗中傷し、やれ血脈がないだの相伝がないだのと批判しているので、「日蓮宗はなぜ大石寺批判、創価学会批判をしないのか」「大石寺批判は、日蓮宗にやってもらえばいい」と言っている人たちは、日蓮宗もきっと他宗派誹謗中傷を専らにしているものだと、思い込んでいるのだろうか。こういうことだから、彼らは「いつまでたっても『日蓮正宗系』の悪弊・弊害から抜けきれない」と言われてしまうわけである。つまり、いつまでたっても、日蓮正宗や創価学会、顕正会が勝手に造り上げた尺度、物差しから脱却できないでいるわけである。

さらに不可解に思うことがある。日蓮正宗、創価学会、顕正会がボロクソに批判しているのは、何も日蓮宗だけではない。法華宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗、天台宗等々、ありとあらゆる他宗教、他宗派を批判しているわけだが、「日蓮宗はなぜ大石寺批判、創価学会批判をしないのか」「大石寺批判は、日蓮宗にやってもらえばいい」と言っている人たちは、なぜか日蓮宗には大石寺批判、創価学会批判、顕正会批判をすることを要求するのだが、法華宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗、天台宗等々には、大石寺批判、創価学会批判、顕正会批判を要求しない。彼らは「日蓮宗は大石寺批判しない」だの「創価学会批判しない」だのと、日蓮宗だけはやり玉に挙げて批判するのだが、例えば顕本法華宗、法華宗本門流、法華宗陣門流、本門法華宗、日蓮宗不受不施派等の宗派を「大石寺批判をしない」だの「創価学会批判をしない」だのと、やり玉に挙げることはない。どういうわけか、彼らは日蓮宗だけを、やり玉に挙げようとする。こういうところを見ても「どうして彼らは日蓮宗だけを、やり玉に挙げたがるのだろうか」と不思議に思う。彼ら自身は、自分たちがやっていることを矛盾だと思わないのだろうか。

日蓮宗は、日蓮を宗祖とする仏教宗派の中では、信徒数は最大級かもしれないが、日蓮を宗祖とする宗派の代表でも何でもないはず。「日蓮宗はなぜ大石寺批判、創価学会批判をしないのか」「大石寺批判は、日蓮宗にやってもらえばいい」と言っている人たちは、日蓮宗だけを批判するが、「なぜ日蓮宗なのか」について、公正な道理も何もない。ただ彼らが勝手にそう思い込んで批判しているだけのこと。日蓮宗にとっては、さぞや迷惑な批判だと思うがどうだろうか。

 

御会式22大堂
 

 

(日蓮宗大本山・池上本門寺大堂)