2人、3人、5人~10人で取り囲む折伏を「数の暴力」と全く認識していない「日蓮正宗系」信者

 

この悪弊・弊害は、創価学会、法華講、顕正会等の「日蓮正宗系」団体の信者、富士門流執着軍団、ないしは「日蓮正宗系」団体から富士門流寺院に移った信者に、まことによく顕れている悪弊・弊害である。特に生まれて間もない頃、子どもの頃から「日蓮正宗系」団体の信者として育った人に、よく顕れている悪弊・弊害である。こういう人たちは、折伏でも何でもするときには、必ず二人以上の集団で動こうとする。決して一人では、折伏をしようとしない。創価学会、法華講、顕正会等の「日蓮正宗系」団体の信者が行う「折伏」が、まず必ずと言っていいほど、2人以上の集団、ないしは徒党を組んで行おうとする。これは創価学会、法華講、顕正会の信者に共通する。

創価学会員がどこかに「折伏」に行こうとするときは、必ずと言っていいほど、2人以上で動こうとする。2人以上で徒党を組んで、他人の家に押しかけようとする。創価学会の会館や座談会会場に、未入信者を連れてくると、必ず2人以上で取り囲んで折伏し、入信決意書にサインさせようとする。2人なんて少ない方で、むしろ5人~10人の創価学会員で1人の未入信者を取り囲み、強引に入信決意書にサインさせるということは、当たり前のように行っている。私がかつて福寿荘(仮名)の創価学会男子学生部から受けた折伏被害も、私一人に対して、相手の創価学会員は必ず二人以上だった。否、もっと言うと3人以上だったと言っても過言ではあるまい。私の自宅に10人以上の創価学会員が押しかけてきたことすらあった。こんなことをやっていて、彼ら創価学会員は、世間一般の人よりも精神的に優位に立った状態で、「折伏」をし、強引に創価学会に入信させたいのであろうが、こんなことをするのが、彼らの常識。世間の非常識が、彼ら創価学会員の常識。そういう意識は全く皆無。そもそも1人の未入信者を、2人、3人、5人~10人の創価学会員で取り囲み、強引に入信決意書にサインさせるなどというやり方を、世間では「数の暴力」という。

こういった2人以上の集団、ないしは徒党を組んで動こうとする習性は、創価学会員のみならず、法華講員、顕正会員等々も全く同じ。1991年以降の宗創戦争でも、創価学会員が法華講員宅に行く場合も、法華講員が創価学会員宅に行く場合も、大半のケースが2人以上の集団、ないしは徒党を組んで押しかけていこうとする。まさに数の暴力vs数の暴力の戦争である。

法華講員は寺院の門前や駅前、公道等で「街頭折伏」なるものを展開し、ビラやチラシを配ったりしている。ビラやチラシを配る法華講員は1人であっても、ビラやチラシに書いてある折伏セミナーや座談会等には、それこそ大勢の法華講員が待ち受けており、そんなところにノコノコ出て行くと、創価学会員と全く同じやり方で、2人、3人、5人~10人の法華講員で取り囲み、強引に入信決意書にサインさせるという「数の暴力折伏」が待ち受けている。

創価学会、法華講と全く同じ強引・執拗な折伏を行う顕正会も全く同じ。顕正会員が得意とする折伏は、高校の同級生とか、中学の同級生とか、ほとんど縁が薄かった「同級生」から突然、連絡が入り、ファミレスで会って話そうということになり、ファミレスに行くと、同級生が顕正会幹部数人を連れてきていて、まさにファミレスで「数の暴力折伏」が待ち受けていたというパターン。

 

 

 

□日蓮正宗、創価学会を離檀、脱会した元「日蓮正宗系」信者をも蝕む集団・徒党を組む習性

 

近年は顕正会員による「だまし討ち的ファミレス折伏」や「数の暴力折伏」に関する苦情が、「アンチ日蓮正宗」に殺到している。又、上野駅や東京駅に出没している鉄道ファンを狙った顕正会員の折伏は、駅に出てくる顕正会員は1人ないし2人でも、彼らは顕正会本部や会館に連れて行こうとする。顕正会本部や会館には大勢の顕正会幹部が待ち受けていて、ここで「数の暴力折伏」が待ち受けている。結局の所、最後は「数の暴力折伏」が待っているわけである。

さらに問題なのは、こういう人権侵害行為、強要行為を数の暴力で行っておきながら、創価学会、法華講、顕正会の「日蓮正宗系」信者は、「数の暴力」による不当行為を行っているという意識が全くない。迷惑行為を行っているという意識もなければ、人権侵害を行っているという意識も全くなし。こんなことを公益法人であるはずの宗教団体の信者が行っていることが大問題だ。

創価学会、法華講、顕正会の「日蓮正宗系」信者が2人以上の集団、ないしは徒党を組んで動こうとする習性は、何も折伏だけではない。創価学会の創価班、金城会、法華講の輸送班、整理班、警備班も同じ。創価学会本部、池田大作邸周辺にいる創価班、金城会、創価学会会館周辺の創価班、大石寺にいる法華講輸送班、かつて大石寺にいた創価班も、トランシーバーを片手に集団行動をする。彼らは普段から集団行動をする習性がついていて、集団行動による「数の暴力折伏」をやろうが、迷惑行為、不当行為、人権侵害を行っている意識など全くないわけである。

彼らは口先ではやれ雪山童子だの楽法梵志だのと説話を得意になって話すが、雪山童子は二人以上の徒党を組んで身を投げたのか。楽法梵志は集団で身の皮をはいだのか。彼らは雪山童子だの楽法梵志だのと説話を得意になって話しながら、一方で何かと集団で動いたり、数の暴力で威圧することを、言行不一致だと認識していないようなのである。

さて2人以上の集団、ないしは徒党を組んで行おうとする習性の問題は、さらに創価学会を脱会、日蓮正宗を離檀した元「日蓮正宗系」信者をも蝕んでいる。特に中でも、元創価学会員で富士門流に執着する富士門流執着軍団の者に、顕著にこれを見ることができる。

創価学会、日蓮正宗、日本脱カルト協会、日蓮宗を転々とした後、やれ富士門流信徒の掲示板だの、独歩の会オフ会だの、何とか座談会オフ会だの、常に富士門流執着軍団といっしょに集団行動をしようとする。どこか寺院に行こうとするだけでも、一人では行かずに、阿呆陀羅経等、誰かといっしょに行こうとする。誰かが歩んでいった足跡を踏んで歩いているだけ。決して一人で道を切り開こうとはしない。

さて仏教とは、臨終の用心について教えていると聞くが、人が臨終を迎える時は、当然、一人で臨終を迎える。集団で臨終を迎えたらこれは大変なことになる。それなのに、創価学会、法華講、顕正会等の「日蓮正宗系」団体の信者や元創価学会員で富士門流に執着する富士門流執着軍団の者が、一人で行動せず、何かと集団行動しようとする習性を持っていることが、何とも摩訶不思議。彼らは自分では矛盾だと思っていないのだろうか。


創価班1

 

(創価学会の写真集『ある日ある時』に載っている創価班)