□池田大作スピーチ・聖教新聞に載っている創価学会員の交通事故死や40代・50代での死去

 

祖母の母親である曾祖母・松下いの(仮名)は、明治12(1879)年生まれで、昭和44(1969)90才で死去。松下いの(仮名)は、実の娘である英昭彦の祖母が住む、英昭彦の実家にしょっちゅう来ていて、祖父母、父母、英昭彦の他に松下いの(仮名)がいたので、7人家族のようになっていた。

松下いの(仮名)も昭和43(1968)89才で自力歩行ができなくなり、私の実家で寝たきり生活をしていた。松下いの(仮名)が死去したとき、英昭彦は小学生で、葬儀・火葬にも出席したが、棺の中で合掌し、真っ白な顔で寝ていた記憶が残っている。祖父の母親の曾祖母・坂本そと(仮名)は、慶応元年(1865)生まれで、昭和28(1953)88才で死去している。坂本そと(仮名)の死去した時は、英昭彦が生まれるはるか前のことだが、英昭彦の父親が坂本そと(仮名)にかわいがられていたようで、父親がよく坂本そと(仮名)の話しをしてくれた。坂本そと(仮名)は、JR北陸線(※当時は国鉄)が開業する以前、徒歩で倶利伽羅峠を渡って、富山県まで行商に行っていたという。北陸線の金沢- 高岡間が延伸開業し、津幡駅・石動駅・福岡駅が開業したのが1898年(明治31年)のことだから、それよりももっと前。坂本そと(仮名)20才台だったころのことと思われる。今の日本人女性の平均寿命は90才近くになっているが、昭和28年当時、日本人女性の平均寿命は、まだ70才にも到達していなかった。

□戦後昭和史・男女別平均寿命と老衰死亡率

http://shouwashi.com/transition-longevity.html

そんな時代に、88才まで生きたのだから、かなりの長寿だったのではないかと思われる。

英昭彦の父親は4人兄弟なのだが、父親の姉は1997(平成9)年に66才で病死。父親の妹は、幼児期に病死。昭和19(1944)生まれの、私の父親の弟は、今も健在である。このように英昭彦の親族は、80才台、90才台の長寿を全うした人がたくさんいる。父親の姉が66才で病死、父親の姉の長男が55才で死去しているが、これは極めて稀な例である。55才や66才は平均寿命以下だと言うかもしれないが、それでも58才で死去した創価学会二代会長・戸田城聖や四代会長・北条浩よりは長生きしている。創価学会四代理事長・原島宏治が55才で死去しているので、父親の姉の長男の55才での死去は、これと同年齢ということになる。

1984(昭和59)年、創価学会三代会長で創価学会の最高支配者・池田大作の次男・池田城久氏が29才の若さで急死。死因は胃穿孔であった。池田城久氏の急死はあの当時、一般新聞にも有名人の訃報として載ったくらい。創価学会員にも大きな衝撃を与えた事件だった。それどころか、創価学会の機関紙・聖教新聞には、創価学会員が不慮の事故死をした事例や早死した創価学会員の事例が載っているから驚きである。1988(昭和63)89日付け聖教新聞に載っている第1回未来部総会での池田大作スピーチで、こんな話しが載っている。

「さて夏休みに入ると毎年のように、若き大切な友が、交通事故で亡くなったという報告を受けることがある。我が子を亡くした父母の嘆きは、いかばかりであろうか。また私どもにとっても、若い大切な仏子をなくし、後継の逸材を失った悲しみは深く大きい。…創価大学8期生の○○△君が、オートバイ事故で亡くなった。享年27才であった。またつい先ごろの727日には、創価高校一年生の□□××君が、道路を横断中に事故にあい、死亡した。わずか15才であった。」

(1988(昭和63)89日付け聖教新聞/1回未来部総会での池田大作スピーチ)

 

 

 

61才遷化の日蓮、40代、50代、60代で死去した40人の大石寺法主を何と説明するのか

 

1986(昭和61)年の聖教新聞に連載されていた池田大作の著書「忘れ得ぬ同志」の第二部(35)では、1984(昭和59)323日の深夜、創価学会・中国青年部長が同乗し、若い学生部員が運転する車が中国山脈越えの国道181号線でのスリップ事故で、二人とも死亡した話しが載っている。(1986428日付け聖教新聞より)1986(昭和61)331日付け聖教新聞に載っている池田大作著「忘れ得ぬ同志」第二部(31)には、東京・第一世田谷区副壮年部長で、池田大作が「白雲会の鏡」と称賛する創価学会員が紹介されているが、この人は1984(昭和59)920日、慢性ウイルス性肝炎で55才で死去した、と池田大作自ら記している。1986(昭和61)47日付け聖教新聞に載っている池田大作著「忘れ得ぬ同志」第二部(32)には、創価学会草創期の女子部区長、部隊長を歴任し、池田大作が「白樺グループの先駆者」「広布のナイチンゲール」と称賛する創価学会員が紹介されている。この人は1984(昭和59)年に悪性黒色腫(メラノーム)という難病にかかり、享年48才で死去したと池田大作自ら記している。悪性黒色腫という病気は、現在では医学治療によって、生存率は0期やI期であれば5年生存率は90%以上であり、II期でも70 - 80%であるが、III期では50%程度、IV期では10%未満になるということである。

大石寺法主に至っては、68人の法主のうち、58.8%にあたる40人の法主が40代、50代、60代で死去している。この中で40代で死去した法主が8人、50代で死去した法主が14人、60代で死去した法主が18人である。日蓮正宗や創価学会の宗祖である日蓮が61才で遷化している。こう言うと「そんな話は昔の話だ」と言うであろう。では最近では、こんな事例がある。

大石寺66世細井日達法主の代に日蓮正宗総監を務めた早瀬日慈氏の次男で、大石寺68世早瀬日如法主の実弟である早瀬義雄氏が、長く宗会議長という要職にあったが、60才でとつぜん急逝。さらに同じく早瀬日如の実弟である妙国寺住職・早瀬義純氏も57才で急逝。海外部長・尾林日至氏の息子である尾林信正氏は31才で急逝している。

私の親族の中では、90才以上の長寿を全うした人が、少なくとも4人いる。6人いる創価学会会長経験者で90才以上は1928(昭和3)年生まれの池田大作一人だけ。68人の大石寺法主の中では、堀日亨と阿部日顕の二人だけである。

創価学会員たちの「創価学会員は諸天善神に守護されるが、念仏や立正佼成会は絶対に諸天善神に守護されない。不幸になる。早死にする」などと、超独善的な脅迫もまた、極めて矛盾した話しである。それならば、日中戦争で三度も中国大陸に旧日本軍兵士として出征した祖父は、中国軍兵士の銃弾に倒れていなくてはならないはずだが、祖父はケガひとつせず、無傷で日本に復員。勤務先に定年退職するまで勤務し、79才の天寿を全うした。日蓮正宗や創価学会が言う「仏罰論」「堕地獄論」なるものは、全く矛盾だらけである。私が「狂気の福寿荘(仮名)」のアラシのような折伏攻撃を受けていた当時でも、すでに英昭彦の二人の曾祖母、祖父が天寿を全うしていた。したがって「仏罰論」「堕地獄論」の世界とは、一体どこの世界の話しだ(?少なくとも私とは無関係の別世界のことだとなり、私には何の説得力もなかったのである。


1982池田城久葬儀2
 

(1984(昭和59)年の池田城久氏の葬儀・「グラフィティ・創価学会の現実」)


忘れ得ぬ同志1
 

(1986(昭和61)年の聖教新聞に連載されていた池田大作の著書「忘れ得ぬ同志」の第二部)


交通事故1
 

(1988(昭和63)89日付け聖教新聞に載っている第1回未来部総会での池田大作スピーチ)