□創価学会幹部・法華講幹部として一般信徒からヨイショされていたことが忘れられない人たち

 

これは創価学会、法華講、顕正会等で幹部職にあった人。特に創価学会のかなり上の組織を統轄する幹部職にあった人に強く見られる悪弊である。創価学会で地区部長、支部長、本部長、区・圏幹部、県・総県・総区幹部等の職にあった人が脱会。法華講に入る。あるいは他宗に入る。

そういう人は、創価学会の幹部として華々しく活動していたころ、幹部として一般会員からヨイショされていた『栄光の時代』のことが忘れられない。「オレは創価学会の時には○○の幹部だったのだ」というノスタルジィが数ヶ月後か数年後か、必ず頭を出してくる。この「悪弊」が、周囲の人とトラブルを巻き起こす、大きな原因になっている。

創価学会脱会→法華講の事例を見てみよう。典型的な事例は、創価学会時代に創価班をやっていて、それで脱会して法華講に入ったケース。創価学会時代はいろいろとあったらしく(---おそらく創価学会内部の対人トラブルだと思われる---)、それで創価学会を脱会して法華講へ。それで12年ないし数年は、創価学会の緊縛からの開放感等もあって、しばらくは、おとなしくしている。

それで気持ちが落ち着いてくると、寺院参詣をはじめ、法華講の組織活動にも顔を見せ始める。それで1人か2人か、あるいは数人か、創価学会時代の知人の創価学会員を引き連れて、法華講に入れてくる。(---中には0人というケースもあるようだが---)。そうすると法華講では「この人がいい」とばかりに、法華講支部の役職に就ける。それは地区長だったり、方面長だったり、幹事だったり、さまざま。こうして法華講の組織活動をはじめると、「法華講は創価学会と同じだ」ということがわかってきて、このあたりから、創価学会時代のノスタルジィが頭をもたげてくる。

さらに法華講連合会警備班(--いわば輸送班の壮年部版のようなもの---)に入ってしまうと、完全にノスタルジィの塊と化してしまう。「オレは昔は創価班だったんだ」「オレこそ、お山の御奉公の第一人者だったんだ」となる。いわば、魔法か催眠術にかかってしまったかのようである。

この魔法か催眠術にかかってしまうと、ノスタルジィを飛び越して慢心の塊になってしまう人すらいる。それで法華講連合会幹部を批判したり、輸送班を批判したり、法華講支部役員を批判したり、あるいは末寺住職の言動を批判したりするが、結局の所、「オレのほうが偉いのだ」ということを言いたいだけの話し。つまり創価学会の幹部として華々しく活動していたころ、創価学会幹部として一般会員からヨイショされていた『栄光の時代』のことが忘れられず、法華講の組織の下で、活動せざるをえず、法華講連合会や法華講支部役員に這いつくばって活動せざるをえないことが、我慢ならないということ。つまり「オレは創価学会の時には○○の幹部だったのだ」というノスタルジィからはじまって、「オレのほうが偉いのだ」という慢心の塊になってしまっているというわけである。

こういう人は1人や2人ではない。しかも元創価班や元上級幹部にかぎったものでもなければ、創価学会から法華講に入ったケースに限ったものでもない。創価学会から仏教宗派に入ったケース、冨士門流寺院に入ったケース、富士門流執着軍団に入ったケースにも見られるのである。

 

 

 

 

□創価学会ノスタルジィ、法華講ノスタルジィが消えない人は、40才以上の中高年に多く見られる

 

創価学会員時代は総県「書記長」で、創価班では池田大作のために命を捨てる忠誠を誓った創価学会本部勤務の全国幹部だったと自称する某人は、富士門流某本山寺院貫首の縁で創価学会を脱会。しかし富士門流の信仰を棄てきれず「富士門流執着軍団」に入り、第二次公式ホームページを執筆。しかしアクセス数はさっぱり上がらず、富士門流僧侶・本山や富士門流執着軍団内部でトラブルつづき。さらに「脱会者ビジネスではないか」との苦情が入っている自称「座談会」では、創価学会総県幹部・創価班全国幹部の「辞令」を見せびらかして「オレは偉いのだ」と、集まった創価学会員や「富士門流執着軍団」メンバーの前で、過去の“栄光”(?)を「誇示」している。

東京都出身でかつては琵琶湖畔に住み、今は東京に戻ってきている某僧の場合は、生まれたときから創価学会員で、若い頃は頭から足のつま先まで「創価学会」「池田大作」に染まりきっていた。この某僧は、創価学会→法華講宝浄寺支部→日蓮宗と転々とし、富士門流某本山寺院僧侶の許に駆け込み、その僧侶のもとで出家しているが、この某僧も、いまだに創価学会時代や法華講時代のノスタルジィが消えないのである。法華講の時は日蓮正宗宗務院役僧の下で嘱託をしていただの、大石寺67世日顕の説法を筆録していただの、「大日蓮」編集に携わっていただのという話しを自慢げに披露する。ところが法華講をやめた後、十年以上にわたってこんな話しばかりしているので、創価学会を脱会した人、日蓮正宗から離檀した人たちから、完全に呆れられている。

よほど創価学会時代、法華講時代のノスタルジィが消えないのであろう。当人は、創価学会を脱会した人、日蓮正宗から離檀した人たちか振り向かれ、尊敬されたいということのようであるが、しかしこれでも全然、尊敬されないばかりか、振り向かれない。するとこの某僧は、創価学会時代から富士門流執着軍団まで通算五十年以上も日蓮と関わってきただの、法華講を辞めてから十年間で数千万件以上の相談に乗ってきただのと言い出してきた。しかし十年間で仮に1000万件の相談を受け付けたとしても、1日平均2739件、一睡もしないで24時間受け付けたとしても1時間で114件も処理しなければならない計算になる。しかしこの某僧は、それこそ十年以上も仕事もほったらかしにして、インターネット上で「あーでもない、こーでもない」の法華談義は行っていたが、相談を受け付けていたとは全く聞いたことがない。否、相談どころか、あっちこっちでトラブルや仲違い、ケンカ別れを繰り返し、あっちこっちから苦情を頻発させていた。「法華講を辞めてから十年間で数千万件以上の相談に乗ってきた」というのは、明らかなウソであり、良識有る人から顰蹙を買っているのである。そもそもこの某僧がインターネット上で展開している「あーでもない、こーでもない」の法華談義は、偏狭なコテコテの教学理論ばかりであり、人の人生や未来ひとつ語れないものである。そんな人物に相談事を持ちかけるなど、到底あり得ない話しであり、こういったところが苦情やトラブル頻発、顰蹙を買う大きな原因になっているものと考えられる。

こういった創価学会ノスタルジィ、法華講ノスタルジィが消えない人は、40才以上の中高年に多く見られる傾向がある。20代や30代の若い人ならば、まだ自分の人生の先が長いし、やり直しがきく。ところが40才を過ぎると、そう簡単にやり直しがきかない。だからノスタルジィにしがみつこうとするのかもしれないが、その前に根本的な反省をすべきなのである。

吉野寺院4
 

(創価学会ノスタルジィ、法華講ノスタルジィの某僧が住む某寺)