□蓮如の昔から浄土真宗が社会に深く根を張り文化として深く定着している北陸地方・石川県

 

英昭彦と一般宗教との関わりは、子どもの頃からはじまる。英昭彦が幼少のころの実家は石川県のN駅近郊にあり、この家が、先祖代々からの家であった。この家は、先祖代々から真宗大谷派(本山・京都東本願寺・真宗本廟)の檀家で、家の中には、先祖代々から伝承する真宗大谷派の本尊(阿弥陀如来絵像)が祀られる仏壇があった。石川県をはじめとする北陸地方は、本願寺7世・蓮如以来、浄土真宗(東、西を含めて)の寺院・檀家が圧倒的に多く、英昭彦の親族も全て浄土真宗寺院の檀家である。しかも、英昭彦の実家も親族も、葬儀、法事、報恩講を依頼するだけであった。----浄土真宗では、毎年一回、宗祖・親鸞の祥月命日忌法要である「報恩講」を、檀家個々の家庭に、住職が下向して営む風習がある。----が、ただ一人、英昭彦の祖母だけが、毎日、熱心に仏壇の前に座って拝み、京都・真宗本廟(東本願寺)の団体参拝にも積極的に参加するという生活をしていた。その関係からか、所属の真宗大谷派寺院K寺住職とは、別の真宗大谷派寺院T寺住職が、毎月一回、英昭彦の実家に来て、お経をあげていた。---これを真宗大谷派では「月参り」と言うらしい---なぜ、祖母が熱心に真宗大谷派の本尊を拝む生活をしていたのか、所属寺院K寺とは別のT寺住職が月参りに来ていたのか、親族に聞いても誰も“わからない”との返事。

北陸地方の浄土真宗寺院住職は、副業をしている住職が多いが、その多くが学校の先生である。K寺住職は、代々が中学校の社会科教師。当代の住職は、保育園の園長をしている。T寺の代々住職も、中学校の社会科教師で、先代の住職は、英昭彦が通っていた公立中学校の社会科教師で、なおかつ、教頭だった。英昭彦が小学生だったころ、両親が近所の浄土真宗寺院G寺住職が経営する「書道教室」に、数ヶ月、通わされていたが、このG寺住職もまた、副業で学校の先生をしている人だった。そんなわけで、石川県をはじめとする北陸地方には、蓮如の昔から、浄土真宗が社会に深く根を張っており、文化として深く定着している。ただし定着しているとはいうものの、浄土真宗寺院住職は副業で学校の先生をするなどして、社会に根をおろしているというくらいであり、浄土真宗寺院の檀家の大半は、葬儀、法事、報恩講を所属寺院に依頼するだけの檀家が大半である。-----ただし、浄土真宗寺院住職の話しでは、“月参り”を依頼する檀家は、結構あるとのこと。これが事実だとしても、葬儀、法事、報恩講に、月参りが加わるだけである。---

そんなわけで、英昭彦や北陸地方に住む一般庶民にとって、誰も違和感を感じない宗教である。時折、法事に招かれた住職が酒に酔ってトラブルを起こしたり、いい加減な説法をして檀家とトラブルを起こすなど、“振る舞いが悪い”住職が、一般庶民とトラブルを起こすぐらいのもので、浄土真宗の宗教そのものを批判する人は、皆無である。

ただしこれだけ浄土真宗寺院の檀家が圧倒的に多い地域ではあるが、新宗教団体が全くいないわけではない。信者の数は、少ないが、北陸地方や石川県にも、創価学会、顕正会、立正佼成会といった新宗教団体がある。

1960s子供2
 

(子供時代の英昭彦)

 

 

 

K市のT大学に入るまで全く予想していなかった創価学会員の強引・執拗な折伏攻撃

 

ちょうど私が中学生、高校生のころ、私の母が立正佼成会の教会に行っていた。理由は、母と英昭彦の祖父との不仲等があったからなのだが、その母親がやたらと英昭彦を立正佼成会の法座(創価学会の座談会のようなもの)に出させようとしていた。なぜかというと、英昭彦がけっこう遊びほうけていたからである。中学生のころはそれでも勉強していて、学業成績も中学全体のトップ10に入るくらいだったが、公立高校受験に失敗して「滑り止め」で受験・合格していた私立高校に入学。(----ちなみにこの私立高校は、馳浩衆議院議員、元中日・小松辰雄、元福岡ダイエー・村松有人、元巨人・元ヤンキース・松井秀喜の出身校---)

ところが入学した後、どうもここの高校生活になじめない。それで授業をサボって金沢市内の映画館に映画を観に行ったりしていた。これではいかん、ということで私の母親が、私を塾や音楽教室に入れようとした。ところがこれは数ヶ月でリタイア。それで次が立正佼成会だった。

最初、夏休みに立正佼成会金沢教会で行われた合宿に行かされた。するとここに女子大生や女子高生がたくさん来ていて、割とすんなりと、なじめてしまった。翌月、今度は金沢教会長の自宅で高校生対象の法座があるということで出席。すると金沢教会長の三人娘が出てきていて、上が女子大生で、中が女子高生、下が女子中学生。さらに同じ高校の女子高生も来ていて、これが意気投合。それで、女子大生や女子高生とワイワイ話すのが楽しみで、しばらく金沢教会長の自宅で高校生対象の法座に行っていた。その後、高校生に限らず信者全体の法座に出よ、ということで行ってみたら、ここは中高年の信者ばかり。なーんだ、面白くないやと、再び高校生対象の法座に逆戻り。母親は何度も金沢教会の行事に出させようとしたが、1回か2回、行ったきり。すると今度は、金沢教会長の三人娘の一番上の女子大生から「hide君、行こうよお」と誘われて、金沢教会の行事に出た。ところが、教団幹部の話は、まるで面白くない。それで幹部の話をしている最中、グーグーと、いびきをかいて寝てしまった。これに金沢教会の幹部が激怒。「そんなに眠いのなら、ここから出て行け-」と宣告されてしまった。あの当時はテレビで昭和の歌謡曲が大ヒットしていた時代。「ここから出て行け」と宣告されてしまった私は、1977年の沢田研二のヒットソング「勝手にしやがれ」のサビの部分、「寝たふりしてる間に~出て行ってくれえ~ああ~ああ~」と歌いながら出て行った。するとこの幹部、さらに激怒して「出入り禁止」を宣告されてしまった。

だから高校生のころから立正佼成会・庭野日敬開祖会長が、国連軍縮総会で演説したり、テンプルトン賞を受賞したり、さまざまな募金や慈善援助活動等々を行っていることは知っていた。

その後、高校を卒業してK市のT大学に入学すると、今度は創価学会男子学生部の「東洋哲学研究会」による強引・執拗な折伏の連続。その創価学会員たちは、池田大作が海外著名人や政治家と会談したり、勲章を受章している自称「平和運動」を、やたら英昭彦の前で自慢する。しかし英昭彦は、創価学会員たちにこう言っていた。

「その創価学会の平和運動とやらは、立正佼成会の猿まねでしょう」

こうして池田大作の自称「平和運動」は、立正佼成会・庭野日敬開祖会長の平和活動の猿まねであることが、わかったというわけである。しかしこれは結果として、「創価学会の平和運動とやらは、立正佼成会の猿まね」だとわかったという話しで、何も英昭彦が好き好んで、創価学会員たちの強引・執拗な折伏攻撃にさらされていたのではない。創価学会員の強引・執拗な折伏攻撃は、まさに迷惑千万なもので、大学に入るまで、全く予想していなかったものだった。

 

星稜9(OK)


星稜6


星稜3
 

(英昭彦が通っていた高校・卒業アルバムより)