1950年代からあった伝統仏教宗派や評論家・マスコミによる日蓮正宗批判・創価学会批判

 

これはカルト信仰に染まりきった日蓮正宗・法華講員に見られる悪弊・弊害だが、しかしこの錯覚ぶり、思い上がりぶりには、全く呆れ果ててしまうばかりである。1991年以来の日蓮正宗vs創価学会の「宗創戦争」以前から、世間・マスコミ・評論家や一般仏教界による創価学会批判・日蓮正宗批判は存在しており、日蓮正宗のカルト信者たちの驚くべき錯覚ぶり、思い上がりぶりは、徹底的に糾さなくてはならない。

創価学会は、少なくとも第二次世界大戦直後の戸田城聖の時代のころより、世間・マスコミや評論家たちから「暴力宗教」「香典泥棒」「軍隊の猿まね宗教」「国立戒壇は憲法違反」「非常識な暴力的折伏の宗教」「創価学会・公明党は憲法違反の政教一致体質」等々と批判されつづけてきた団体である。国立戒壇というと、妙信講、顕正会、国柱会の専売特許のように思っている人がいるようだが、少なくとも大正時代から昭和前半のころ、1960年代のころまでは、日蓮正宗も創価学会も、戸田城聖も池田大作も声高く国立戒壇を叫んでいた。日蓮正宗と創価学会が、世間、マスコミ、社会党、共産党の追及に耐えきれなくなって、国立戒壇の名称不使用を公式に宣言したのは、1970(昭和45)53日のことである。

また195060年代のころは、日蓮宗、法華宗、浄土真宗等が創価学会批判の書籍を出しているが、この中で日蓮正宗の本尊や教学についての批判も展開している。ただしこの時代の日蓮正宗の教学批判は、「戒壇の大本尊」や二箇相承等は日蓮真筆ではなく、後世の偽作であるとする学問的研究が主流であり、大石寺9世日有の謀略、陰謀、教義改変の構図を暴く所までは行き着いていない。1970年代に入ってからは、創価学会の言論出版妨害事件が起こり、評論家・藤原弘達氏、ジャーナリスト・内藤国夫氏らが先陣となって創価学会批判を展開。国会では池田大作の証人喚問の是非が取りだたされ、社会党、共産党、民社党の議員が、我先にと創価学会批判を展開した。この当時、やり玉に挙がったのは、創価学会の非民主的体質、言論弾圧体質、国立戒壇や創価学会・公明党の政教一致体質は憲法違反の疑いがあること等であった。

この言論問題と時を同じくして、創価学会の外郭団体・民音職員だった松本勝弥氏が、「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセモノだから、正本堂供養金を返せ」という正本堂供養金返還訴訟を提起。そして保田妙本寺を日蓮正宗から独立させて反創価学会の拠点にしようとした。これは池田大作が指揮する「山崎師団」の謀略活動により、松本勝弥氏ら「創対連」「万年講」の反創価学会活動は潰され、正本堂供養金返還訴訟で松本勝弥氏は敗訴。保田妙本寺は日蓮正宗に残留。松本勝弥氏は西山本門寺貫首に弟子入りして次第に沈静化した。

次に沸き上がった創価学会批判は、隈部大蔵氏が編集長の「月刊ペン」による池田大作の女性スキャンダル批判。月刊ペン事件は、刑事裁判にまで発展。池田大作をはじめ創価学会幹部、元幹部、公明党議員が次々と出廷して、池田大作の女性スキャンダルの事実の有無が争われたが、この裁判は隈部大蔵氏の死去によって終了した。

 

 

 

 

□日蓮正宗の低次元な創価学会批判は創価学会批判全体の質を低下させ足を引っ張っている

 

1970年代後半から大石寺と創価学会の不協和音、内部対立を週刊誌・マスコミがすっぱ抜き、再びマスコミの創価学会批判に火がついた。この時にマスコミが取り上げた創価学会批判は、創価学会会館内にあった豪勢な池田大作専用施設、池田大作の贅を尽くした大名生活ぶり、池田大作の創価学会内部での傍若無人な振る舞い、創価学会の日蓮正宗僧侶リンチ事件をはじめとする創価学会の暴力体質、第一次宗創紛争の内幕などである。今になって日蓮正宗は、池田大作の板本尊模刻、日蓮正宗僧侶つるし上げ事件等を大々的に批判しているが、1970年代のころ、日蓮正宗は表だっては日蓮正宗信徒の前ではこれらについて何も言っておらず、マスコミや週刊誌が取り上げて、大々的に批判していたものであった。

1970年代末期から1980年代にかけて、第一次宗創紛争の中で、創価学会顧問弁護士・山崎正友氏と創価学会教学部長・原島嵩氏が池田大作に造反。創価学会内部文書や情報を外部に持ち出して週刊誌で告発するという「内部告発」による批判を展開。二人の創価学会批判により、多くの創価学会員が創価学会を脱会。日蓮正宗寺院の信徒になった人、正信会寺院の信徒になった人、日蓮正宗の信仰そのものを捨て去った人が出て、創価学会は大打撃を受ける。山崎正友氏の池田大作批判本「盗聴教団」「闇の帝王、池田大作をあばく」、原島嵩氏の池田大作批判本「池田大作先生への手紙」は有名で、ベストセラーにもなった。さらに1980年代には、元創価学会副会長・福島源次郎氏、元創価学会理事・石田次男氏、公明党衆議院議員・大橋敏夫氏、公明党東京都議会議員・藤原行正氏らが次々と池田大作に造反。福島源次郎氏の池田大作批判本「蘇生への選択」もまた有名になった。日蓮正宗に至っては、1990年まで創価学会と「ぺったり状態」かつ完全な「目くそ鼻くそ」「同じ穴の狢」であった。日蓮正宗と創価学会が「目くそ鼻くそ」「同じ穴の狢」であるのは今も同じだが、日蓮正宗が表立って本格的に創価学会批判をはじめたのは1991(平成3)年からの「宗創戦争」以降のこと。少なくとも1950年代のころから、伝統仏教宗派や評論家・マスコミ、ジャーナリスト、週刊誌、共産党、社会党、民社党、自民党等々、創価学会批判の言論は山のようにたくさんあった。これは歴史的史実である。それにもかかわらず、カルト法華講員たちは、世の中で自分たちだけが創価学会批判をしているのだ、などと思い込んでいるのだから、うぬぼれぶり、思い上がりぶり、浅学ぶり、無智蒙昧ぶりには、ほとほと呆れ果ててしまう。さらに言うと、日蓮正宗の創価学会批判なるものは、「創価学会は大石寺法主に逆らった」などという驚くべき低次元なものと、「創価学会の本尊はニセ本尊だから、大石寺現法主の本尊と取り替えろ」という、単なる本尊セールスだけである。こんなものは、おおよそ「創価学会批判」などと呼べるものではない。ところがこの程度のもので「創価学会批判をしているのは日蓮正宗だけ」「日蓮正宗と創価学会は違うのだ」などと胸を張りたがるのだから、法華講員たちの自慰妄想ぶりには、呆れ果てて言葉も出ない。よほど彼らは子どもの頃から、日蓮正宗の都合のいいように洗脳されてきたのであろう。日蓮正宗の自慰妄想的うぬぼれ、思い上がり、浅学、無智蒙昧ぶりは、創価学会批判の質を低下させ、足を引っ張ること甚だしいものがあると言えよう。

 

創価学会を斬る1
 

(藤原弘達氏著書「創価学会を斬る」)

 

公明党の素顔1
 

(内藤国夫氏著書「公明党の素顔」)

 

盗聴教団1
 

(山崎正友氏著書「盗聴教団」)

 

原島嵩4
 

(原島嵩氏著書「池田大作先生への手紙」)

 

溝口敦・学会批判本1
 

(溝口敦氏著書「池田大作・権力者の構造」)