□「日蓮はもうこりごり」「宗教はもうこりごり」と言って反宗教的な無宗教になる人が多い

 

このパターンで「日蓮正宗系」団体をやめる人は、創価学会→法華講→日蓮正宗離檀という人に多いが、一部には創価学会→法華講→他宗派→無宗教、あるいは創価学会→他宗派→無宗教の人にも見られる。もう少し具体的に言うと、数十年の長きにわたって創価学会員ないしは創価学会幹部として創価学会第一線で活動してきた人が、創価学会の体質や指導性、教学の欺瞞等に嫌気がさして創価学会を脱会。それで日蓮正宗が正しいと信じて法華講に入る。ところが法華講に入って活動をしてみたら、法華講も創価学会と同じ体質、同じ指導性、同じ教学の欺瞞であることがわかり、ここで完全に「日蓮正宗系」団体に嫌気がさして日蓮正宗を離檀する。あるいは、信徒の振る舞いに嫌気がさして創価学会を脱会。法華講に入っても同じく、信徒の振る舞い、僧侶の振るまいに嫌気がさして日蓮正宗を離檀。このパターンでは、創価学会、法華講、顕正会、正信会等の「日蓮正宗系」団体を転々とするカルトサーフィンを繰り返す人は皆無。最終的に「日蓮正宗系」の信仰を完全に捨て去り、他宗派に行く。あるいは「日蓮正宗系」の信仰を完全に捨て去り、「日蓮はもうこりごり」「宗教はもうこりごり」と言って無宗教になる。無宗教でも、宗教そのものが嫌になり、反宗教的な無宗教になる人が多いのも特徴の一つである。もうひとつ言うと、「アンチ日蓮正宗」を訪ねてこられる方々の中で、このパターンの方々が多いというのも特徴である。

創価学会「昭和五十二年路線」と正信覚醒運動で、創価学会を脱会して日蓮正宗寺院の檀徒になった人が激増。1980年ころまでは大石寺に登山しながら創価学会批判をしていた人が、その後、大石寺67世阿部日顕法主と正信会の衝突で正信会僧が次々と破門になる正信会事件に発展。

日蓮正宗寺院が阿部日顕法主側と正信会側に分裂。阿部日顕法主側寺院の檀徒でも、そのまま阿部日顕に信伏随従した檀徒、正信会側に移っていった檀徒、「日蓮正宗系」の信仰をやめた檀徒に分裂している。これは正信会側寺院の檀徒でも同じ。ここでも阿部日顕法主側寺院に移った檀徒の他に、「日蓮正宗系」の信仰をやめた檀徒が出ている。つまり、正信覚醒運動につづいて、大石寺67世阿部日顕法主vs正信会の正信会事件に嫌気がさして「日蓮正宗系」の信仰をやめて、他宗教に行った、あるいは無宗教になった、ということである。

つづいて、199012月に勃発した日蓮正宗と創価学会の宗創戦争でも、同様のことが起こっている。宗創戦争直後から56年の間、創価学会→法華講の流れが起こっているかのようなマスコミ報道がなされていた。確かにそういう人たちが続出したのは事実であるが、創価学会を脱会して無宗教になった人、創価学会を脱会して他宗派に移った人がかなり出たことも事実。これらの人たちは、宗創戦争をはじめ、たび重なる「日蓮正宗系」団体同士の内紛に嫌気がさして「日蓮正宗系」の信仰を棄てたのである。さらにこれらの延長線上に創価学会→法華講→日蓮正宗離檀→無宗教、ないしは創価学会→日蓮宗→無宗教、創価学会→法華講→富士門流→無宗教という人が続出している。さらに創価学会→法華講に入ったが、阿部日顕のシアトル事件等で再び創価学会へ。しかし創価学会の体質に付いていけずに創価学会脱会→無宗教という人もいる。

 

 

 

□たび重なる「日蓮正宗系」団体同士の内紛に嫌気がさして「日蓮正宗系」の信仰を棄てる人々

 

このパターンで「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会した人は、創価学会、法華講等で幹部・役員を経験するなど、かなりアクティブに組織活動・信仰活動を行ってきた人が多く、創価学会、法華講等で幹部・役員を勤めた期間も、とても長い人が多い。そういう中で創価学会、日蓮正宗・法華講の体質や指導性、信徒の振るまい等を肌で感じる機会が多く、これらに嫌気がさしてやめるわけである。又、アクティブに組織活動・信仰活動を行ってきた人であるが故に、日蓮正宗系の教学をかなり学んできている人も多い。そのため、「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会しても、「日蓮正宗系」洗脳教学から抜け出していない人が多いのも事実である。

このパターンで「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会した人の特徴として、両親や祖父母の代から創価学会、法華講で、子どもの頃から創価学会、法華講の庭で育ってきた人もいれば、大学生の頃に折伏されて創価学会、法華講に入信し、2030年の信仰歴を持っている人もいる。こういう人は、人柄的にも、まじめな人が多い。「日蓮正宗系」信徒に折伏されて、「日蓮正宗系」団体に入信した人の場合、なぜ入信したのかというと、単純に幸せになりたかったからとか、とても純粋に考えている人が多い。そういう人が長年の信仰歴、幹部・役員歴を経て、創価学会、日蓮正宗・法華講の体質・指導性等をいやというほど経験し、これはダメだと、見切りを付けるわけである。

これは「日蓮正宗系」団体の中で、信徒同士の紛争・ケンカを巻き起こして「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会した人の場合とよく似ているが、根本的な所で違っている部分がある。

信徒同士の紛争・ケンカを巻き起こして「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会した人の場合は、単に頭に血が上って飛び出したので、離檀・脱会の動機を人に語りたがらない。

個別の11の対話の中では語る人もいるかもしれないが、「私はケンカをしてやめました」と、人前で、あるいはインターネットの掲示板等で語る人は皆無である。今はインターネットの時代で、元創価学会員、元法華講員、元顕正会員だった人で、ブログを書いている人がけっこう見られるが、「日蓮正宗系」団体の中で、信徒同士の紛争・ケンカを巻き起こして「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会した人は、自らの離檀・脱会の動機・機縁を語ることは皆無である。自ら元創価学会員、元法華講員、元顕正会員であることは明かすが、なぜ「日蓮正宗系」団体を離檀・脱会したのかを語らないのである。ところがこれに対して、「日蓮正宗系」団体の体質や指導性、信徒の振るまい等に嫌気がさしてやめた人の場合は、なぜ「日蓮正宗系」をやめたのか、なぜ「日蓮正宗系」が嫌になったのかという理由・動機・機縁について、はっきりと語っている。それもかなり熱く語る人が多い。

そして「もう日蓮はこりごりだ」「もう宗教はこりごりだ」と言って、反宗教的無宗教になる人が多い。もちろん、これでも宗教から離れられない人もいる。宗教から離れられない人は、「日蓮正宗系」団体や富士門流寺院に行く人は皆無。日蓮宗や法華宗に行く人も少ない。天台宗、曹洞宗、臨済宗、真言宗などの日蓮系以外の伝統仏教や天理教、立正佼成会、仏所護念会、霊友会などの新宗教に行く人が見られる場合が多いようである。

 

1980山口法興住職罷免1
 

 

(妙真寺前での「日蓮正宗系」団体同士の内紛・日蓮正宗全国檀徒新聞『継命』より)

 

1981抗議登山・創価班が正信会入山阻止1
 

(大石寺境内での創価学会vs日蓮正宗僧侶(後の正信会)の紛争・日蓮正宗全国檀徒新聞『継命』より)