□創価学会の折伏・布教活動が嫌で脱会し日蓮正宗寺院の信徒になった夫婦のケース

 

創価学会、法華講、顕正会等の「日蓮正宗系」団体をやめる動機として、「日蓮正宗系」団体の強引・過激な折伏・布教活動が嫌でやめる三番目のケースとして、ここに紹介するのは、夫婦・子ども3人の5人家族で、さらに夫婦の両親である老父母もいる家庭。もちろん最初は、夫婦・子ども3人から老父母も全員が創価学会員だった。夫婦のうち、夫も夫人も子どもの頃から創価学会員として育った人。夫の両親である老父母は、創価学会の「折伏大進撃」の時代からの古参会員。夫はこの両親のもとで、幼い頃から創価学会の庭で育てられ、創価学会女子部幹部だった夫人と結婚し、子どもができた。しかし夫は、子どもの頃から創価学会員として育ったが、折伏とか、聖教新聞のセールスとか、公明党支援のF取り活動といった布教活動が大の苦手。折伏や法論が特異で、相手を論破するタイプの性格ではなく、きわめておとなしく、おっとりした人柄の人。そういう人柄だったせいか、夫は男子部時代は、周囲の創価学会幹部に期待されながらも、当人は折伏等の布教活動を嫌って、創価学会活動にはまことに消極的だった。夫は社会人になってから一貫して郵便局に勤務していたが、時折、郵便局の簡易保険のセールスはしていたというものの、どちらかというと総務畑一本の道を歩んでおり、セールスとか営業は大の苦手。この夫は、創価学会活動には消極的だったが、「折伏大進撃」の時代からの古参会員である両親の世話で、創価学会女子部幹部だった夫人と結婚した。ところがこの夫人のほうも、両親が創価学会員で、子どもの頃から創価学会員として育てられてきたが、布教活動が苦手。女子部時代は将来を嘱望されて、折伏や布教活動に励んではみたものの、思うような成果が挙げられなかった。はからずしも結果として、この夫婦は、折伏・布教活動が苦手な男女のカップルによる結婚になった。しかしそうは言っても、夫婦の両親が両方とも創価学会員、夫婦もそろって創価学会員ということになれば、壮年部、婦人部に入っても将来を期待される。それで壮年部、婦人部に入ってからも夫婦は、創価学会のブロック幹部になり、地区幹部になった。個人の折伏成果は、親族の一人住まいや結婚による分世帯でも成果に数えられるが、地区の折伏目標達成となれば、分世帯だけで達成はできない。創価学会地域組織直属の支部長や本部長らは、「折伏成果を出せ」とばかりに、夫婦にものすごいプレッシャーをかける。ところが折伏目標は達成されず、夫婦は創価学会幹部による「総括」の餌食になってしまう。「総括」とは、創価学会幹部の言葉による「いじめ」か「リンチ」に近いものなのだが、かくして夫婦が創価学会幹部の「総括」の餌食になることが何度もつづいた。折伏ができないと「総括」されてしまうことは、夫婦とも子どもの頃からよく知っており、特に夫のほうが「折伏ができないと、とっちめられる」という奇妙な被害者意識があった。ところが目標未達成がつづく中、ついにこの夫婦がプッつん、ブチぎれて創価学会を脱会。近隣の日蓮正宗寺院に足を運んで、その寺院の信徒になった。ところが夫婦と子ども3人の5人はそろって創価学会を脱会したが、老夫婦は退会せず、そののの創価学会に残った。ところが行った先の日蓮正宗寺院の法華講員からは、「なぜ両親が創価学会員のままなのか」という点をさんざん突かれて嫌気がさし、この夫婦は数年後、日蓮正宗寺院からも離檀した。

 

 

 

 

□日蓮正宗・創価学会・顕正会の布教活動が嫌な人が流れ込んでいる富士門流本山寺院

 

創価学会の折伏・布教活動が嫌で創価学会を脱会した人の行き先は、197090年代のころは、日蓮正宗寺院だった。これは後に正信会に行った寺院も含めてである。1991年の宗創戦争以降は、さらにこの傾向に拍車がかかった。ではなぜこんな風潮が生まれたのか。

まず第一に1950年代のころから創価学会は「折伏してきたのは創価学会だけ。法華講は折伏も何もせず墓檀家ばかりだ」などと批判してきた。それで日蓮正宗僧侶も寺院も法華講もろくに知らない創価学会員が、「日蓮正宗寺院の信徒になれば、嫌な布教活動から解放される」と思い込み、創価学会を脱会して、そのまま日蓮正宗寺院に走っていったというわけである。又、日蓮正宗でも、1990年代前半のころまで、法華講に入らない、寺院「直属信徒」を認めていたということもあった。

ところが法華講に入ると、創価学会と同じように折伏・布教活動に駆り立てられる。聖教新聞のセールスや公明党F取り活動はなくなったが、創価学会員「再折伏」と称する脱会・法華講入講勧誘活動が加わった。さらにこの他に創価学会の布教活動と同じように、世間一般の人への折伏もある。「折伏誓願目標達成」という名のノルマもあった。これで日蓮正宗寺院の信徒になって、折伏・布教活動をやらず、のんびりとお茶を飲んで、好きなときに大石寺登山に行き、わがまま勝手放題の信仰活動をやりたいと考えていた人たちの思惑は完全にはずれてしまうわけである。

そこで日蓮正宗を離檀して後に行く先が、近年は富士門流寺院なのである。2000年以降の傾向としては、創価学会から法華講を経由せずに直に富士門流寺院に行く人、顕正会から法華講を経由せずに直に富士門流に行く人、法華講から創価学会、顕正会、正信会を経由せずに直に富士門流に行く人が多く見られる。富士門流寺院の信徒になれば、折伏・布教活動から解放され、のんびりお茶でも飲んで、好き勝手放題の信仰活動ができるということになるわけだが、彼らにとって難点もある。それは日蓮正宗から離檀することによって、大石寺の「戒壇の大本尊」や大石寺法主の血脈相承から離れてしまうことだ。そこで彼らは大石寺の「戒壇の大本尊」や大石寺法主の血脈相承の代用品を探さなくてはならなくなる。富士門流本山では、保田妙本寺、京都要法寺、北山本門寺、西山本門寺等では「血脈」を唱えているが、「戒壇の大本尊」の代用品となると、なかなか見つからず、彼らが飛びつこうとするのが保田妙本寺の「万年救護の大本尊」、京都要法寺の「称徳符法の大本尊」、北山本門寺の「生御影」である。代用品が見つかると、今度は大石寺の「戒壇の大本尊」を理論的に否定しなければならないということで、飛びつくのが安永弁哲氏の「板本尊偽作論」や「河辺メモ」。「板本尊偽作論」は時代に合わない論述が多いので、彼らに人気があるのが「河辺メモ」や「図形鑑別」である。そして、血脈や日蓮・日興相承、日興・日目相承を肯定したまま、大石寺の「戒壇の大本尊」だけを理論的に否定しようとする。日蓮正宗を離檀して富士門流寺院に行く人の特徴は、教学的には大石寺教学を何ら脱出しておらず、大石寺教学ないしは亜流教学のままであり、さらに創価学会、法華講、顕正会等の「日蓮正宗系」の体質や悪弊・弊害をもろに引きずっているという悪しき傾向性もある。

 

2018.4.9-13


2018.4.9-20


2018.4.9-22
 

(日蓮正宗を離檀、創価学会、顕正会を脱会した人が数多く流入している富士門流八本山のひとつ・保田妙本寺)

 

要法寺17表門


要法寺37本堂
 

(日蓮正宗を離檀、創価学会、顕正会を脱会した人が数多く流入している富士門流八本山のひとつ・京都要法寺)