□「日蓮正宗系」カルト信者は自分の意志で決められず幼児性のまま大人になりきれていない

 

日蓮正宗・法華講員、創価学会員、顕正会員などの「日蓮正宗系」カルト信者、ないしは「日蓮正宗系」内のカルトサーフィンをつづけている者、富士門流執着軍団の者の生き方には、「自分の意志で生き方を選択する」という人生のページがない。いまでたっても、社会人になっても、両親の意志や幹部・先輩信徒の意志で動き、生きている。しかも彼らは、それが当たり前だと思っている。だから彼らは自分の意志で決められず幼児性のまま大人になりきれない。

ではなぜ彼らは自分の意志で結婚しないのか。それにはこんな裏事情がある。これは日蓮正宗・創価学会・顕正会等「日蓮正宗系」は、若い独身男子と独身女子の割合が21になっていて、仮に創価学会員の独身女子が全員、創価学会独身男子会員と結婚したとしても、創価学会独身男子会員全体の半数は、あぶれてしまい、創価学会の勢力は衰退してしまう。さらに恋愛結婚で創価学会員と未入信者の結婚が激増し、「創価学会」の信仰活動、法灯が消滅してしまうケースが多発してしまったら、創価学会の勢力衰退に拍車がかかる。したがって創価学会幹部集団から見ると、創価学会の独身男子会員と独身女子会員同士を無難に結婚させることが死活問題になる。創価学会の最高幹部から地域組織の壮年部・婦人部幹部は、口をそろえて一般の創価学会員に対して「一家和楽の信心」を指導している。一家和楽の信心とは一家全員が創価学会員であることを意味する。そのためには、子どもに創価学会の信仰・法灯を相続させなくてはならないが、その最も近道は、創価学会の独身男子会員と独身女子会員同士が無難に結婚することである。しかし現実は、創価学会独身男子会員と独身女子会員の会員比率が独身男子2に対して独身女子が1ということもあり、かなり厳しい状態になっている。創価学会の中では、表向きは「恋愛は自由だ」と言いながら、実質的に創価学会独身男子会員と独身女子会員の恋愛を禁止しているばかりか、創価学会男子部と女子部の活動は、別々に行われており、現実に恋愛関係になることは極めて珍しい。こうした「厳しい情勢」下において、創価学会幹部は一般信徒に対して常日頃から偉そうに「一家和楽の信心」を指導している。そして創価学会員と未入信者の結婚により「夫が創価学会に入信しない」「夫が創価学会活動に反対して悩んでいる」「子どもが創価学会活動に参加しない」等々の相談を受けて、「それはあなたの宿業です」「あなたの信心が足りないからだ」等々と、これまた偉そうに指導している。ところが一般の創価学会員に対して「一家和楽の信心」を指導し、「一家和楽の信心」ができない信徒に「あなたの宿業」だの「信心が足りない」だのと指導する創価学会幹部の息子・娘が、未入信者の相手と恋愛結婚して、「創価学会」の信仰活動、法灯が消滅してしまったら、それこそ目もあてられない。親の創価学会幹部のメンツは丸つぶれである。一般の創価学会員の間で、創価学会幹部としての権威・威信は完全に失墜する。創価学会幹部は、こんな事態になることを極端に怖れている。だから、どんなことをしてでも創価学会幹部の息子・娘は、創価学会員同士で結婚させることが、創価学会幹部にとって至上命題となる。

 

 

 

 

□現代社会の大人とは進学も就職先も自分が住む所も結婚相手も「自分の意志で選択する」

 

だから創価学会幹部の息子・娘の自由恋愛も恋愛結婚も禁止。親の創価学会幹部は、創価学会内部のあらゆる「ツテ」や「コネ」を総動員して創価学会内部から息子・娘の結婚相手を探してくる。それでも結婚相手が決まらなければ、顔が広い公明党議員まで使って、創価学会内部の結婚相手を探してくる。こんな感じだから、創価学会員同士の結婚で、公明党議員が仲人を務めるケースがかなりたくさんある。親の創価学会幹部からすれば、とりあえず息子・娘が創価学会員同士の結婚であれば、メンツや威信は維持できるということになる。創価学会員の場合は、創価学会幹部や公明党議員が男女創価学会員の二人を結びつける「紹介」「仲介」をすることによって、「池田先生・創価学会のおかげで二人は結婚できたのだ」ということになり、創価学会の創価学会員支配の権力構図が維持されていくということに収まる。

しかし一般世間の常識・良識有る人は、こんな生き方をしない。高校進学でも大学進学でも、専門学校に入るにしても、自分で進学したい学校、大学を自分で選択し、自ら入学試験に挑戦する。社会人になって就職するにしても、自分で入りたい会社を自分で見つけて、自ら入社しようと挑戦する。結婚も、今や恋愛結婚が常識化してきており、結婚相手を自分の意志で選択する。自分が住む所も、自分の意志で選択する。かくして一般世間の人は大人になっていくわけで、現代社会の大人とは、「自分の意志で選択する」ということである。

自分の意志で決められない人、自分の意志で動けない人は、両親に頼りつづけ、甘えつづけて心の中が子どものまま、幼児性から抜け出せず、大人になりきれない。両親からの押しつけ、「日蓮正宗系」カルト団体の「幹部」「役員」「先輩信徒」の押しつけ、「幹部」「役員」「先輩信徒」への絶対服従の強制、「上意下達」体質の中で生きてきた創価学会員、法華講員、顕正会員等「日蓮正宗系」カルト信者は、「自分の意志で生き方を選択する」という人生のページがなく、心の中が子どものまま、幼児性から抜け出せず、大人になりきれない人がゴロゴロたくさんいる。これはまさに日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会等「日蓮正宗系」の悪弊・弊害である。

こう言うと「創価学会員同士の恋愛結婚もある」と反論してくる者がいる。創価学会の中でも、まれに文化祭、公明党支援の選挙戦、座談会、学園祭で、創価学会の男女青年信徒同士が恋愛関係になり、結婚するケースがあることはある。しかしこういうケースは、全体から見ると極めて少ない。こうしたケースでも、創価学会は「二人が出会ったのは、創価学会活動の中で出会ったのだから、二人が結婚できたのは創価学会のおかげだ」として、創価学会の恩義を売りつけて、創価学会の権力構造の中に取り込もうとする。それでも彼らは「恋愛結婚した」と言い張るのだが、世間の恋愛結婚なのか、そうでないのかを推し量るひとつの物差しがある。それは、一般世間の恋愛結婚では、結婚・入籍する前に二人で同棲・事実婚の生活を始めるのが、世間では一般化している。しかしながら創価学会員、法華講員、顕正会員等「日蓮正宗系」カルト信者の自称「恋愛結婚」では、結婚・入籍する前に二人で同棲・事実婚になったケースを聞くことはほとんどない。だから彼らの自称「恋愛結婚」は、世間一般の恋愛結婚とは違うと言っているのである。

 

登山2
 

登山3
 

(1980年代のころの創価学会の大石寺団体登山会より)