□若いころから「日蓮正宗系」信者だった人は他の伝統仏教宗派や無宗教の生活に、なじめない

 

なぜこんなにも「日蓮正宗系」本尊・信仰を棄てられずに執着するのか。これには、さまざまな原因があると考えられる。

(3)1970年代から、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の「日蓮正宗系」カルト同士の抗争・内紛がつづいている

(4)「日蓮正宗系」本尊・教学・信仰から抜けきれず、創価学会がダメなら顕正会、顕正会がダメなら日蓮正宗、日蓮正宗がダメなら保田妙本寺、京都要法寺といったふうに、「本物の宗教」探しをはじめる。

(5)宗教団体の共同社会における便宜供与をアテにしている

といったようなことがある。

子どもの頃、若いころから長期間にわたって、やれ座談会だの、選挙だ、文化祭だ、支部総会だ、やれ御講だ、大石寺登山会だ、というふうに、毎日のように宗教団体の組織活動に追い立てられ、こういう生活に慣れ親しんだ人は、日蓮宗などの他の伝統仏教宗派や無宗教、無宗派の生活には、なかなかなじめない、ということがある。なぜなじめないのか。

例えば、創価学会、日蓮正宗、顕正会の活動の場合、必ず組織の上部から「方針の打ち出し」が出て、その流れに沿った活動をする。座談会がある週となれば、「座談会に向けて○○をしよう」という目標が、信徒団体の上部から上意下達で下に流され、その流れに沿った活動をする。

「日蓮・立正安国論750年慶讃」という打ち出しが出れば、やれ供養金を集めろだとか、大石寺登山者を増やせだとか、折伏誓願目標をとても高い数字に設定して、それを達成しろだとか、そういう流れに沿った活動をする。

日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会等「日蓮正宗系」カルト団体の信仰活動には、自分の考えとか、意志というものが入り込む余地が全くない。「座談会週間」がはじまったら、座談会活動に集中することが求められ、「オレは座談会活動はイヤだ。選挙活動をやりたい」というのは、組織内では認められない。信徒団体が公明党支援の選挙活動をやっている時に、「オレは選挙は嫌いだ。勤行だけやっている」というのも認められない。「日蓮・立正安国論750年慶讃」で、供養金を集めろ、大石寺登山者を増やせ、折伏誓願目標を達成しろとの方針が出ているのに、「オレはイヤだ、勤行だけやっている」というのも認められないのである。

かくして信徒団体が打ち出す方針に則って信仰活動をしている信徒には、信徒団体がさまざまな便宜供与をする。折伏・布教活動において、成果を上げた信徒には、組織内部の役職が与えられ、折伏成果を上げるたびに、組織内でどんどん出世していく、というのは、創価学会、顕正会、正信会等「日蓮正宗系」カルト宗教に共通している。あるいは、男女の信徒同士のお見合い結婚のお世話ぐらいの便宜供与もしてもらえる。これが創価学会になると、結婚、進学、就職、融資等々の生活の面倒を見て、便宜供与をしてくれるばかりではない。創価学会幹部だけで面倒を見きれなければ、公明党の地方議員、国会議員までもが出てきて、面倒を見てくれる。

だから「日蓮正宗系」カルト団体の活動に長年はまり続けていた人は、信徒団体から便宜供与を受けてきている、あるいは受けてきている姿を見てきているので、他の共同社会、つまり「日蓮正宗系」カルト以外の、富士門流本山や日蓮宗、他の伝統仏教に入っても、便宜供与を受けて当たり前だと思っているのである。

 

1970s創価学会登山会(創価学会50周年写真集)


大石寺奉安堂1
 

(多くの日蓮正宗信徒を駆り立てている大石寺登山会)

 

 

 

 

□「本物の宗教探し」と称して「日蓮正宗系」カルトや富士門流本山を次々と渡り歩く人が実に多い

 

ところが、無宗教、無宗派、無党派の生き方というのは、自分でものを考え、自分で検証し、自分で生き方を選ぶことが基本になる。自分の人生は、自分で切り開いていくわけだから、信徒団体や公明党議員の便宜供与をアテにして生きているわけではない。

もっと具体的に検証してみよう。創価学会に不信を持って、あるいは創価学会内部でトラブルを起こして創価学会を脱会した人の場合、19701980年代は、正信会寺院の「檀徒会」、ないしは日蓮正宗寺院の法華講であり、1990年代は、正信会系「檀徒会」はほぼ消滅して法華講になり、さらに顕正会が加わる。創価学会を脱会して檀徒会、法華講、顕正会に入ると、創価学会脱会信者は、それこそ爆雷の拍手で迎えられる。そして檀徒会、法華講、顕正会からは「創価学会では活動していたんですか」「創価学会での役職は何だったんですか」と聞かれ、創価学会を否定しているはずの檀徒会、法華講、顕正会で、創価学会活動のつづきができるということで、組織内の役職に就く。正信会系「檀徒会」、法華講、顕正会で創価学会を批判しながら、創価学会の信仰活動、組織活動はそのまま認め、創価学会と全く同じ信仰スタイルで、創価学会とほとんど同じ組織活動、信仰活動を行う。つまりこれは、「日蓮正宗系」カルト宗教の所属団体を変更しただけで、信仰活動、組織活動の中身は全く変わっていない。つまり「日蓮正宗系」カルト団体を、単にカルトサーフィンしただけなのである。

ところがカルトサーフィンした後、法華講も顕正会も正信会系檀徒会も、創価学会と全く同じ体質であり、同じ穴の狢、目くそ鼻くそのカルト団体だと気づく。それで檀徒会はダメだ、法華講はダメだ、顕正会はダメだ、ということで、「日蓮正宗系」カルト団体の所属を次々と変える。創価学会もダメ、法華講もダメ、顕正会もダメ、檀徒会もダメということになるが、それでも「日蓮正宗系」カルト教学から抜け出せず、「日蓮じゃないと成仏できない」「日蓮門下では日興門流だけが唯一正統門家」という「日蓮正宗系」カルト教学から脱出できない。それで「日蓮正宗系」がダメなら、北山本門寺か、西山本門寺か、保田か、京都要法寺か、伊豆実成寺か、というふうに「本物の宗教探し」「正統の宗教探し」をはじめる。

大石寺の「戒壇の大本尊」の代用品で、保田妙本寺の「万年救護の大本尊」を信仰してみたり、京都要法寺の「称徳符法の大本尊」を信仰してみたり、北山本門寺の日蓮御影像を信仰してみたりもするが、「本物の宗教探し」「正統の宗教探し」とは言っても、所詮は富士門流本山を渡り歩くだけ。全ての仏教宗派を検証しているわけではない。所詮は、「日蓮正宗系」カルト教学、日蓮・日興の虚像にしがみついて、その範囲内で、信仰する宗派・団体を取り替えているだけなのである。

 

2018.4.9-11
 

(保田妙本寺)

 

仁王門5
 

(北山本門寺)