自分の在世中の広宣流布・王仏冥合・舎衛の三億・大石寺の本門寺改称・正本堂即日蓮遺命の戒壇の定義完成を目指す池田大作氏が、宗創和合時代の1987年ころから、なぜ日蓮正宗(宗門)批判と思われるスピーチをはじめたのか。それは池田大作氏が目指す大石寺の本門寺改称・正本堂即日蓮遺命の戒壇の定義完成を大石寺にさせるための圧力である。当時は日蓮正宗信徒の99%が創価学会員だった。「創価学会が日蓮正宗からいなくなったら、日蓮正宗はやっていけなくなる。だから創価学会の要求を聞け」という論理で、独立をちらつかせながら日蓮正宗を創価学会の膝下に納めようという作戦である。池田大作氏は「昭和五十二年路線」の時も、今回も独立をちらつかせていたが、池田大作氏のほうから独立する意図はなかった。あくまで作戦である。