□高度成長時代以降の日本で、ことごとく失敗に終わった単なる数合わせの『政治的野合』

 

「国際カルト宗教対策委員会」は単なる数合わせの政治的野合・連合体をめざすものではない、ということは既に表明しているが、数の政治的野合を目指す路線がことごとく失敗に終わったのは、政治の世界を見れば、とてもわかりやすいのではなかろうか。

1990年代から「政治改革」ということが叫ばれ、やれ二大政党だの、数を大きくしなければ自民党に対抗できないだのと、いろいろな政党の合併・併合が行われてきたが、数合わせの政治的野合はことごとく失敗に終わった。高度成長時代から1990年代、21世紀に入ってから、数合わせの政治的野合が失敗に終わった事例がある。

■新進党結党(1994)→自由党などの6党に分裂(1997)

新生党、公明党の一部、民社党、日本新党、連合参議院、自由改革連合などが結集し、19941210日、結党。小沢一郎氏の『豪腕』と言われる政治力で結党されたものの、その実態は新生党、日本新党、自由改革連合の保守、民社党、連合参議院、社会民主連合の社会民主主義勢力、創価学会を母体とする公明党など、まさに寄せ集めの寄り合い世帯。その後、羽田孜vs小沢一郎の路線対立、保・保連合の路線対立、池田大作の支配問題等々が沸騰。1997年の東京都議会議員選挙で11人の公認候補全員が落選。旧公明党のうち新進党に合流していない参議院議員・地方議員を中心とする政党・公明が新進党への合流取りやめを決定。199712月の党両院議員総会で小沢一郎党首が解散を決定した。

■民主党・自由党合併(民由合併・2003)→民主党・小沢一郎派が分裂(2012)

民由合併も当初から「選挙互助会的合併」等と批判されていた。当初、鳩山由紀夫代表が自民党に対抗できる野党勢力結集ということで民由合併を図ったが失敗。その後、菅直人代表のときに、民主党が小沢一郎氏の自由党を吸収合併する形で民由合併を実現した。その後、民主党は2009年の総選挙で政権をとったが、親小沢一郎派vs反小沢一郎派の主導権争い、路線論争が絶え間なく起こる。そして最後は消費税増税問題を巡り、社会保障・税一体改革関連法案の採決では反対の意を表明していた鳩山、小沢以下57名が反対票を投じて造反。小沢一郎派が民主党を離党し、2003年の民由合併は破綻。民主党は分裂し、2012年の総選挙で、民主党は歴史的大惨敗を喫した。

■日本未来の党(20121127日結党)→分裂(20121226)

小沢一郎氏が代表の「国民の生活が第一」、山田正彦が代表、亀井静香を幹事長としていた反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党、河村たかし名古屋市長が代表としていた減税日本、社会民主党政策審議会長で離党していた阿部知子、みどりの風が合流。嘉田由紀子滋賀県知事を代表とした。2012年の総選挙で121人を擁立したものの、小選挙区で当選したのは小沢一郎と亀井静香の2人のみで比例区を合わせても9議席だけという歴史的大惨敗を喫する。選挙後は嘉田由紀子派と小沢一郎派の路線対立、主導権争いが激化。亀井静香が離党。小沢一郎派の国会議員15名が「生活の党」と名前を変えて、嘉田由紀子、阿部知子らを追放。前代未聞の党首追放の四分五裂の分裂劇になり、嘉田由紀子と小沢一郎の『成田離婚』と揶揄された。

 

 

□数合わせの政治的野合は分裂・内紛のマイナス効果・ダメージのほうがはるかに大きい

 

■日本維新の会・太陽の党合流(201211)→分裂(20145)

20145月末、石原慎太郎、橋下徹共同代表が、日本維新の会を分党することを決定し、正式発表した。201212月の衆議院総選挙の直前、橋下徹氏率いる日本維新の会と石原慎太郎氏率いる太陽の党が合流。「ひとつになれば大きな勢力になる」と期待され、総選挙では2012年の総選挙では、小選挙区14議席、比例区40議席の合計54議席を獲得、衆議院での第3党に躍進。民主党にあと数議席と迫る野党第二党に躍進した。ところがその後、石原慎太郎氏と橋下徹氏の「東西対立」といわれる路線対立がたえず、結局のところ、分党になった。合流からわずか1年半。石原慎太郎派と橋下徹派の路線対立で、結局、両者は再分裂した。単なる数合わせの政治的野合がうまくいかないことを証明する事例になった。

■日本維新の会・結いの党合流(20148)→分裂(201511)

日本維新の会共同代表で結いの党との合流に肯定的であった橋下徹らのグループは20148月、みんなの党から離脱した結いの党と合流。「維新の党」を結党した。しかし201511月、代表・松野頼久率いる執行部に反発した橋下徹派のグループが同年12月に松野執行部にも橋下徹派にもつかない議員5人が離脱。「維新の党」は分裂した。維新の党は2016327日に解党。民主党を前身とする『民進党』に合流した

■日本社会党再統一(1955)→西尾派脱党・民社党結成(1959)→江田派脱党・社民連結成(1977)→社会党分裂・社民党へ名称変更(1996)

これは社会党の統一だから、数合わせの政治的野合ではないという見解もあるが、これが全くの間違い。社会党は、議会制民主主義の中で社会主義を実現する社会民主主義を標榜する右派から、ソ連型社会主義革命を容認し、日米安保条約を廃棄した後、ソ連東欧圏入りをめざした社会主義協会派・左派までいて、政策もイデオロギーも大きく異なっていた。

さてもうひとつ学ぶことがある。数合わせの政治的野合は、合併時には「数が大きくなる」等々のプラス面ばかりが叫ばれてきたのだが、この数合わせの政治的野合が失敗して分裂してしまうと、合併・統合のプラス効果よりも、分裂・内紛のマイナス効果・ダメージのほうがはるかに大きいということである。数合わせの政治的野合は差し引きマイナス効果が大きいということになる。

そしてもうひとつ。誤解のないように断っておくが、政治勢力の合併・統合は全てうまくいかないと言っているのではない。合併・統合が持続している例としては、自由党と日本民主党の保守合同による自由民主党、総評、同盟、中立労連等の労働組合が合同した「連合」等がある。自民党の場合は、元になった自由党と日本民主党との間に、政策や理念の違いはほとんどない。労働組合の場合は、アメリカやヨーロッパ諸国の事例を見ても、合併・統合が持続しているケースのほうが多い。問題は、政策や理念等が大きく異なっている団体・勢力が、政治的利益だけを目的にした数合わせの政治的野合が問題なのであり、これは行うべきではないのである。

分裂ニュース2
 

(日本維新の会分党を報道するインターネットニュース)

分裂ニュース1
 

(日本未来の党分裂を批判するインターネットニュース)