□何が偽作の証拠で何が真筆の証拠なのか、まるでわからない日蓮正宗や創価学会等の信者

 

日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会等「日蓮正宗系」カルト教団のガチ信者たちと問答すると、いかに彼らが「道理」に暗いか、「証拠」ということが、まるでわかっていないことに驚かされる。

例えば、大石寺「戒壇の大本尊」が日蓮真造なのか、大石寺9世日有による偽作なのか。

□大石寺の『戒壇大本尊』は日蓮造立ではない偽作本尊だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161867.html

□大石寺の『戒壇大本尊』は大石寺9世日有の偽作である

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161878.html

この問答で、日蓮正宗のカルト信者は、こんな事を言う。

戒壇の大御本尊を後世に造るのは不可能である。日有上人が、摸写したとして信徒にだけ見せて、他人には見せない。のは考えにくい。日蓮系の各宗派に自慢したがるはずですし、実際に存在したと見せて自慢したはずです。今日でも、立派な物、建築物や絵や書を発表するのは、当たり前の事です。 それを見せないで信徒のみだった?これは、おかしいでしょう。手間をかけコストも莫大にかけて、摸写した本尊を見せないなんて事はない。

こんなことを日蓮正宗法華講員は平然とブログに書いている。一体、何処の世界に、ニセモノを偽作して、それを自慢して人に見せびらかす者がいるというのか。この洗脳法華講員の妄説は笑止千万である。大石寺9日有が自分で「戒壇の大本尊」なる板本尊を造ったといって、周囲や他門流に見せびらかしたら、偽作にならない。 「偽作」というのは、辞書にも

「本物に似せて作ること。特に、書画などを本来の作者の作品に見せかけて作ること。また、その作品。贋作(がんさく)。」

とあるとおり、「戒壇の大本尊」の場合は、日蓮真作を偽って、さも日蓮が造立した本尊であるかのように見せかけて造ったということである。大石寺9世日有が偽作したからといって「自分が造立した」などと板本尊を見せびらかしたら、自分で自分の偽作をバラすようなものだ。 人を騙す目的・動機でニセモノを偽作した者が、自分で自分の偽作をバラすわけが絶対にない。これなどは「偽作」の意味からして、まるでわかっていないとしか思えない。この「日蓮正宗系」カルト教団のガチ信者が言うように、「手間をかけコストも莫大にかけて、摸写した本尊」を「見せて自慢した」ならば、「戒壇の大本尊」が日蓮真筆ではなく、大石寺9日有の偽作であることが、大石寺門流の信者や他門流にバレてしまう。「戒壇の大本尊」を偽作した大石寺9世日有が、自らの偽作をバラすことをするはずがない。「戒壇の大本尊」偽作が、大石寺門流の信者や他門流にバレたならば、大石寺9世日有や大石寺の信用は地に落ちてしまう。「戒壇の大本尊」を偽作した当人が自ら偽作をバラすことをするはずがないことは、子どもでもわかるはずなのに、こういう道理がガチ信者は理解できない大石寺の「戒壇の大本尊」が日蓮真造である証拠を出せというと、「日蓮正宗系」カルト教団のガチ信者はこんなことを言う。

「その板本尊を広宣流布の時に『本門寺の戒壇に安置する御本尊』と、日蓮大聖人自身が意義付けた証拠。 弘安二年十月十二日の大御本尊の脇書に『本門戒壇』と大聖人が認めておられること明白である」

これも、「道理」とか「証拠」ということを全くわかっていないとしか思えない。

 

 

□日蓮正宗系から離檀・脱会後も日蓮正宗系の悪弊・弊害から抜けていない日蓮正宗系元信者

 

「戒壇の大本尊」そのものの真偽を問題にしているのに、「戒壇の大本尊」の「本門戒壇」と書いた脇書きが、最初から日蓮が書いたものという前提で、これを「証拠」と称している洗脳法華講員のお粗末ぶりには、全く呆れて閉口してしまう。「戒壇の大本尊」の脇書きが日蓮が書いたものなどとは、日蓮正宗が何の証拠もなく、一方的に言っているだけのことであって、「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会(略名・アンチ日蓮正宗)は全く認めていないし、そもそも「アンチ日蓮正宗」は、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊が日蓮の造立であること自体を認めていない。したがって、「戒壇の大本尊」の脇書きが、日蓮が書いたものだという証拠になるわけがない。よって「戒壇の大本尊」なる板本尊を「広宣流布の時に『本門寺の戒壇に安置する御本尊』と、日蓮大聖人自身が意義付けた」などという道理も全く成立しない。そんなものを「証拠」と称している洗脳法華講員の悩乱ぶりが、ただ見苦しく見えるだけ。つまり日蓮正宗のガチ信者・洗脳法華講員は、何が偽作の証拠で何が真筆の証拠なのか、まるでわかっていないということである。「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会(略名・アンチ日蓮正宗)で大石寺の「戒壇の大本尊」が日蓮の真造ではない25の証拠、大石寺の「戒壇の大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠を示しても、このガチ信者・洗脳法華講員は、「証拠がない、証拠がない」をただ連発して逃げるだけ。これは日蓮正宗のガチ信者・洗脳法華講員のみならず、日蓮正宗系から離檀・脱会・離宗した人にも共通している人物が居る。かつて「富士門流執着軍団」の犀角独歩氏は、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説を否定し、大石寺17世日精偽作説を唱えていた。そこで「アンチ日蓮正宗」では大石寺の「戒壇の大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠と「戒壇の大本尊」が大石寺17世日精の偽作ではない12の証拠を示したところ、これに何一つ反論も反証もせず、依然として自分のブログに、

「日有造立説は、かつて三学無縁師が、またいまはれん師が指摘するとおり『日浄記』の信憑性から根拠が薄い」と書いている。さらにmixiで「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説についての見解を尋ねられた犀角独歩氏は、日蓮正宗のガチ信者・洗脳法華講員と同じように、「証拠がない、証拠がない」をただ連発しているだけ。つまり犀角独歩氏は、日蓮正宗系から離檀・脱会・離宗したにもかかわらず、依然として日蓮正宗のガチ信者・洗脳法華講員と同レベルの悪弊・弊害に蝕まれていることが、はからずしも露呈した形になった。

「証拠」とは、国語辞書・大辞泉によれば

「1 事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。「―を残す」「動かぬ―」「論より―」2 要証事実の存否について裁判官が判断を下す根拠となる資料。」

と載っている。「証拠」をフリー百科事典・Wikipediaで検索すると

「ある命題(真偽不明の主張や存否不明の事実)の真偽や存否を判断する根拠となるものをいう」

と載っている。裁判でも、裁判官が判断を下す根拠となる資料がまさしく「証拠」である。この「証拠」がわからないようでは、日蓮正宗系の偽作教義、偽作本尊に騙されてしまうのは必然と言えよう。

日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会の悪弊・弊害からの脱出は、まず「証拠」を学ぶ所からはじまると言えよう。

戒壇大本尊1大正4年由井本1


戒壇大本尊2大正4年由井本2


戒壇大本尊3
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)